私はこの数年だけで、軽く1,000回以上、嵐山を訪れている。
嵐山と大堰川での体験、紅葉と水の澄み、写真撮影、そして『正論』掲載の高山正之「折節の記」および西部邁の連載を読んだ体験を軸に、涙と音楽、人生の来歴、言葉を世界へ届ける決意、そして書き続けてほしいという祈りを綴る。
私はこの数年だけで、軽く1,000回以上、嵐山を訪れている。
2016-12-04
私はこの数年だけで、軽く1,000回以上、嵐山を訪れている。
先日、嵐山の紅葉が見ごろに変わった日も、これ以上ない晴天だった。この日、私は大堰川の水が史上最高に澄んでいた事に本当に驚いた。更に単なる偶然とは言い難く、大堰川の主と言っても過言ではない大魚が姿を現した。この時の私の写真が素晴らしいものである事は言うまでもないのだが、残念な事に私はRAWで撮影していた。
それもあり、12月2日に、再度嵐山を訪れた。
1日に発売された正論を買ってすぐに、巻頭の高山正之の「折節の記」を読んだ。今月号も戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明していた。
これは後日にご紹介する。
2日の深夜に一度目を覚ました私は、西部邁の連載コラムを読んだ。半分だけを読むことにして。京都駅から嵐山に向かう電車の中で、残りを読んでいた時に、私は号泣しそうになった。
本を置いて彼に何か音楽をプレゼントしたいと思った。すっと浮かんだのが、ジョン・レノンの♪grow old along with you♪だったから、愛用のSONYのイヤホンで聴いた。またもや号泣しそうになったのである。
メディアの報道のおかしさを指摘する点に於いては、高山正之は、もう一人の私なのだが、私はジャーナリストとは無縁の人間である。
西部邁さんは、北海道山越郡の漁師町・長万部町に生まれ、私は宮城県の漁師町である閖上に生まれた。彼は北海道における私の母校のような高校から東京大学に進学した。私は私の少年には耐え難かった苦しみゆえに、ある日、京都で、「僕には大学は必要ない」と思い、恩師の命に背いたが、西部氏と私は本当の意味でもう一人の私であると言っても過言ではないのである。
最も遅く彼を知った私は、最も良く彼を知っている人間である。
私は、今月号に掲載されている彼の論文だけを、今月、短い文節ごとに、世界中に伝える事にしよう、そう思ったのである。
彼は大江健三郎などの正反対にいる本当の偉才である。
私は彼に(彼は自裁を決意している事を何度も書いているのだが。先日、偶然、BSフジのプライムニュースに出演していた彼を拝見もした)、死に行く遺伝子を組み込まれている私たちには避ける事ができない運命の最後の日まで、書き続けてほしいと思う。
西部さん、長年の学者生活ゆえの頸椎のずれからくる体中の神経痛をも、何とか、完治・克服して、とことん、書き続けて頂きたい。
今月号の書き出しについても、彼と全く同様の事を考えて生きているのは、今、日本で私が全く、貴方の、もう一人の人間だからである。
貴方の言葉も、私の言葉も、世界の果てまで届いて、この世界を間違いなく正しているのだから。私は微力僭越ながら、私の拙い英語力を動員して、貴方の言葉を、私の言葉と同様に世界に伝えるから。
死ぬ日が来るまで決して死なないで書き続けてほしい。