日常性とは、この男の場合、長年連れ添っていた相手との生活言語の堆積のこと以外にはないのであった。
人間の認識と表現の底層にある日常性(ゲマインシャフト)を、配偶者との生活言語の堆積として捉え、その喪失が記憶の衰弱とともに会話能力・表現能力を縮減させ、換喩から隠喩への暴走、事実主義から観念主義への傾斜を招く過程を論じる。
日常性とは、この男の場合、長年連れ添っていた相手との生活言語の堆積のこと以外にはないのであった。
2016-12-04
以下は前章の続きである。
二つに、人間の認識や表現の底層にはゲマインシャフト(日常性)における然り気ない会話の積み重ねがなければならない。
日常性とは、この男の場合、長年連れ添っていた相手との生活言語の堆積のこと以外にはないのであった。
すると妻の死とともに、その堆積が記憶だけということになり、そして記憶が徐々に衰弱、硬直もしくは消失していくことによって、この老人の会話能力をはじめとする表現能力が実際的に縮減させられていくということになる。
とくに女性の(部分的な諸事実の連関に重きをおく)メトニミー(換喩)との接触が断たれると、男のがわの(ある全体を他の全体で比喩せんとする)メタファー(隠喩)への傾きが制御困難に暴走しがちとなる。
換言すると、ファクチユアリズム(事実主義)が弱まってアイディアリズム(観念主義)が強まる、という仕儀になるということだ。
この稿続く。