そのことについて、彼は自分の妻に向けて、彼女にもわかる日常語で、しょっちゅう喋ってきたのである。
技術文明の頽落という精神の砂漠において、資本主義を拝金教の毒花、民主主義を多数者専制の砂嵐として捉え、その認識を妻に日常語で語り続けてきた男が、「妻の死」と「文明の死」を不可分に結びつけ、未来感覚の縮退と伝達不能感へ至る過程を描く。
そのことについて、彼は自分の妻に向けて、彼女にもわかる日常語で、しょっちゅう喋ってきたのである。
2016-12-04
ただし、この男は少し特殊な立場にいた。
「技術文明の頽落」という人間精神の砂漠状態にあって、資本主義はその砂漠に咲くマモニズム(拝金教)あるいはマネー・フェティシズム(貨幣物神崇拝)という名の毒花であり民主主義がそこに吹くポピユラリズム(人気主義)あるいはティラニー・オヴ・ザ・マジョリティ(多数者専制)という名の砂嵐である。
そのことについて、彼は自分の妻に向けて、彼女にもわかる日常語で、しょっちゅう喋ってきたのである。
そんなことをしていたせいで、「妻の死」と「文明の死」が彼自身のイメージ世界で固く結びついてしまった。
ゆえに、未だ来たらざる時間とか将に来たらんとする時間にかんする感覚がほとんど零になるまで縮退したらしいのだ。
つまり後生の者に伝えるべきことがこれ以上何もないといった気分にならざるをえないのである。
やることがほとんどないのにこの老人がまだ生きているとはどういうことか。
この稿続く。