私がアンリ・ベルクソンの名前を知ったのは、高校生時分、芥川龍之介を読んでいた時である。

芥川龍之介の読書体験を起点にアンリ・ベルクソンへと遡り、西部邁の言うエラン・ヴィタールに触発されて、その生涯と思想——持続(デュアレーション)、時間、自由、心身問題——を辿る回想と考察。

私がアンリ・ベルクソンの名前を知ったのは、高校生時分、芥川龍之介を読んでいた時である。
2016-12-06
私がアンリ・ベルクソンの名前を知ったのは、高校生時分、芥川龍之介を読んでいた時である。
今日、西部邁氏が言うエラン・ヴィタール(躍動せる生)に触発されて彼を検索した。インターネットが人類史上最大の図書館である事について私は何度も言及して来た。
昨夜古くなっていたなめこを大量に食べてお腹を壊した体調でも、あっという間に、私は長い年月を超えてアンリ・ベルクソンの生涯を知る事ができるのだから。
アンリ=ルイ・ベルクソン(Henri-Louis Bergson [bɛʁksɔn]発音例、1859年10月18日 – 1941年1月4日)は、フランスの哲学者。出身はパリ。日本語では「ベルグソン」と表記されることも多いが、近年では原語に近い「ベルクソン」の表記が主流となっている。
幼少期
ポーランド系ユダヤ人を父、イギリス人を母として、パリのオペラ座からそう遠くないラマルティーヌ通りで生まれる(妹のミナは、イギリスのオカルティストマグレガー・メイザースと結婚し、モイナ・メイザースと名乗った)。誕生後数年は、家族とイギリス・ロンドンで生活を送る。母によって、早くから英語に慣れ親しんだ。彼が9歳になる前に、彼の家族は、フランス、バス=ノルマンディー地方マンシュ県に移り居を構える。
学生時代
リセで古典学と数学を深く修めた後、グランゼコールの一つである国立高等師範学校に入学した。そこでは、教授たちは、新カント派ばかりであったため、ベルクソンは、教授たちに反発しながら、一方でハーバート・スペンサーの著作を熟読して、実証主義・社会進化論への理解を深めた。そして、それらを通して、自己の哲学を形成していった。1881年に受けた教授資格国家試験では、現代心理学の価値を問う試問に対し、現代心理学のみならず心理学一般を強く批判する解答をした。そのため、審査員の不興を買うことになり、ベルクソンは2位で合格する。
『時間と自由』
合格後、リセ教師となったベルクソンは、教師として教えるかたわら、学位論文の執筆に力を注ぐ。そして、ベルクソンは、1888年にソルボンヌ大学に学位論文「意識に直接与えられたものについての試論」(英訳の題名は「時間と自由意志」)を提出し、翌年、文学博士号を授与される。この著作の中で、ベルクソンは、これまで「時間」と呼ばれてきたものは、空間的な認識を用いることで、本来分割できないはずのものを分節化することによって生じたものであると批判した。そして、ベルクソンは、空間的な認識である分割が不可能な意識の流れを「持続」(”durée”)と呼び、この考えに基づいて、人間の自由意志の問題について論じた。この「持続」は、時間/意識の考え方として人称的なものであり、哲学における「時間」の問題に一石を投じたものといえる。
『物質と記憶』
1896年には、ベルクソンは、哲学上の大問題である心身問題を扱った『物質と記憶』を発表した。この本は、ベルクソンにとって第二の主著であり、失語症についての研究を手がかりとして、物質と表象の中間的存在として「イマージュ(”image”)」という概念を用いつつ、心身問題に取り組んでいる。
すなわち、ベルクソンは、実在を持続の流動とする立場から、心(記憶)と身体(物質)を「持続の緊張と弛緩の両極に位置するもの」として捉えた。そして、その双方が持続の律動を通じて相互にかかわりあうことを立証した。
この稿続く。
*この箇所を読んだ私は、私に決定的な影響を与えたル・クレジオも彼を熟読していたに違いないと確信した。

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