「過ちは繰り返しませぬから」――誰の過ちなのかが消された戦後史観
冷戦後の日米関係、ドイツとの比較、連合国側の戦争犯罪が語れない構造を通じて、東京裁判史観という「勝者の歴史観」の本質を検証する。
原爆慰霊碑の碑文の最後に「バイ・ハリー・トルーマン」と書くのを忘れたのでしょう。
2016-12-12
以下は前章の続きである。
文中強調は私。
福井。
冷戦が終わって、対ソ防衛で日米は団結できなくなりました。
共通の敵を失い、日本がアメリカに従う理由が希薄になってきたので、余計押さえつけなければいけないという意識が、アメリカのエスタブリッシュメントでは強くなっている。
だから、いまの米政府高官はずいぶん高飛車な物言いをします。
安倍首相の靖國参拝にも露骨に干渉してきました。
伊藤。
都合のいい歴史カードを、戦勝国側はいつも使おうとしている。
自分たちの、より巨悪の戦争犯罪を隠蔽するためにでしょう。
日本と同盟国で同じく負けたドイツにしても、日本の戦後処理は自分たちより杜撰だ、ワイツゼッカーのようにちゃんと謝罪していない、反省が足りないと居丈高に語り、日本でも追随する向きがある。
福井。
ドイツにおける連合軍側の残虐行為、戦争犯罪についても、ドイツ内外で、徐々にその実態を明らかにする著作が出ています。
ソ連兵によるドイツ人女性の組織的強姦は、これまでも指摘されていました。
それに加え、近年では、J・ロバート・リリーの『Taken by Force』(2007年)などによって、米兵も同様の行為を行っていたことが明らかになっています。
ただし、連合軍の戦争犯罪を指摘すると、ドイツではナチスを相対化、無害化する修正主義者として批判されかねません。
特に政治家にとって、連合軍の犯罪はタブーです。
ヨアヒム・ガウク大統領は、ドレスデン空襲70周年追悼式典演説で、2015年、ドイツ人の被害を強調することは好ましくないと、わざわざ述べています。
国家元首がこう言わざるを得ないほど、ドイツは歴史認識において圧迫されているのです。
伊藤。
ユダヤ虐殺のあやまちは繰り返しませぬからとドイツ人が語るのは当然ですが、広島の原爆慰霊碑に「過ちは繰返しませぬから」と書いていますよね。
あれ、誰が過ちをしたというのでしょう。
江崎。
原爆慰霊碑の碑文の最後に「バイ・ハリー・トルーマン」と書くのを忘れたのでしょう。
とはいえ、戦後70年の安倍談話でも旧ソ連の戦争犯罪にはまったく触れていませんでした。
異様な印象を受けました。
伊藤。
東京裁判史観は、つまり連合国勝利史観ですからね。
連合国であった国の戦争犯罪に対して難癖をつけるのは控えなければならないと考えたからでしょう。
この稿続く。