英語文献が映し出す別の近衛文麿像。日米で食い違う歴史評価。

英語文献を読むと、日本語文献とは大きく異なる人物評価に驚かされることがある。月刊誌VOICE1月号掲載の渡辺惣樹論考をもとに、近衛文麿の評価が日米でいかに異なるかを検証し、盧溝橋事件から第二次上海事変に至る外交判断とその背景を考察する。

英語文献を読んでいると、人物評価が日本語文献と大きく違うことに驚かされることがある。
2016-12-13
以下は月刊誌VOICE1月号からである。
この月刊誌780円も購読者以外の大半の日本国民は全く知らなかった事実が満載されている。
今すぐに書店に購読に向かうべきである。
日米で異なる近衛文麿の評価 渡辺惣樹(日米近現代史研究家)
英語文献を読んでいると、人物評価が日本語文献と大きく違うことに驚かされることがある。
その典型が近衛文麿かもしれない。
近衛の評価は日本では概して芳しいものではない。
評判が忠いのは、第一次近衛政権(一九三七年六月四日~一九三九年一月五日)が世間の期待に背いたからである。
盧溝橋事件
近衛が政権を取った翌月の七月七日、盧溝橋事件が起きた。
この事件はすぐに鎮静化すると思われたが、蒋介石の好戦的態度に引きずられて一向に収束せず、第二次上海事変(八月十三日)に拡大した。
独駐中国大使オスカー・トラウトマンの仲介(トラウトマンエ作)に従えば、戦線が拡がることを防げた可能性もあった。
軍も戦いが拡大することを嫌った。
しかし、コミンテルンのスパイ尾崎秀実らのブレーンの進言を受けて戦線を拡大した。
それを止めえた立場にあったにもかかわらず、それをしなかった。
近衛は学生時代に共産主義に傾倒したこともあり、中国共産党ひいてはスターリンを利するために行動したのではなかったかとまで疑われている。
ところがアメリカのとくにルーズベルト外交を批判的にみる歴史書では、この時期の近衛の外交を問題視していない。
この稿続く。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください