日米開戦の責任はアメリカにある。グルーの断定が示す歴史の分岐点。

長谷川煕の渾身の論考を軸に、近衛文麿と米国側の交渉過程、そして米大使グルーの証言から、日米開戦の責任がどこにあったのかを検証する。首脳会談拒否、ハル・ノート、そして決定的な歴史の分岐点を描く。

日米開戦の責任は一方的にアメリカ側にある、とグルーは断定するのだ。
2016-12-14
私の親友は長谷川煕氏の生年月日を調べて更に尊敬の念を深くしたと言う。
何故なら長谷川氏は西部邁氏が既述する後期高齢者の年齢だからである。
「渡部昇一さんと一緒で大概の覚悟ではない。
日本人と日本国に対する遺書でもあると私は思う」。
最近、私は物事には単なる偶然を超えたものがあると考える事がある。
まるで長谷川氏の渾身の論文と響き合うようにして、今月号のVOICEに掲載された渡辺惣樹氏の論文もご紹介した。
朝日新聞とこれに同調して来たいわゆる文化人たちの「ふざけた」と形容するしかない愚かさと、彼らのふざけた論説を長い間読まされてきた事に対して、私たちはこれ以上ない怒りを感じているのである。
日本国民全員と世界中の人たちも即刻知らなければならない真実である。
以下は長谷川煕氏の渾身の論文の続きである。
文中強調は私。
開戦責任は米にある
近衛文麿は、日米首脳会談を催促する趣旨のメッセージをルーズベルトに送ったり、それより前に同大統領からも関心がないではないような意向も伝えられたりしていたが、この首脳会談については最終的に10月2日に国務長官コーデル・ハルが、懸案に関して事前に双方の一致が必要との理由で断ってきた。
ここが歴史の分かれ目だった。
9月6日夜の伊藤文吉邸での前出の近衛・グルー会談は、近衛・ルーズベルト会談の実現にまだ期待が、少なくとも日本側では持たれている中で行われた。
グルーの助けを借りても近衛はルーズベルトと差しで会いたかったのだろう。
伊藤文吉邸の席でグルーは近衛から日米を和解させるために決定的な妥協をする決意を聞かされ、深い印象を受けていた。
ルーズベルト・近衛会談が実現したら必ず成功するとの確信をグルーは9月29日付で国務長官ハルに報告している。
グルーは戦後の著書『波高き時代』でこう、当時のルーズベルト政権を厳しく批判している。
「東京のアメリカ大使館にいたわれわれ一同は、日本から提案された近衛公と大統領との会談が行われていたならば、アメリカとしてはその原則的主張にせよ、その権益にせよ、全く何らの犠牲をも払うことなく、日米両国関係の再建ができたばかりでなく、ひいては太平洋におけるあらゆる問題の全面的解決にまで導くことができたにちがいないと信じていた」(同著を紹介する『世界週報』1952年11月21日号を参考にした)。
日米開戦の責任は一方的にアメリカ側にある、とグルーは断定するのだ。
グルーが正しいことは、日本側の発言でも証明されている。
そのころ陸軍省軍務局軍務課長だった佐藤賢了が、近衛・ルーズベルト会談を米側が拒否したことを、「アメリカモ間抜ケダ 無条件会へバ万事彼等ノ都合通リ行クノニ」と、嘲笑した事実が、後輩の軍務課員に記憶されている。
この稿続く。

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