近衛・グルー会談の背後にあった独ソ戦――見逃せない決定的要素。
近衛文麿とグルーの会談の顛末を理解するために不可欠な要素として、1941年の独ソ戦勃発に注目する。独ソ戦が日米関係に与えた影響を追究することで、近衛・ルーズベルト会談が実現しなかった理由と、真珠湾へと至る日米対立の本質が浮かび上がる。
そして、この近衛・グルー会談の顛末を考える場合、どうしても見逃せない要素がある。
2016-12-14
以下は長谷川煕氏の渾身の論文の続きである。
そして、この近衛・グルー会談の顛末を考える場合、どうしても見逃せない要素がある。
1939年8月23日から2ヵ年弱にわたってソ連と不可侵条約を維持してきたナチス・ドイツが1941年6月22日にソ連を攻撃し、独ソ戦が始まったことである。
日米関係にこの事件はどう影響したのか。
そこを追究することで、真珠湾攻撃へと日本を向かわせる何ヶ月間の日米対立の性格も、同時に9月6日夜の近衛・グルー会談で一致した近衛・ルーズベルト会談の実現がかなえられなかった原因も明確になってくる。
この稿続く。