朝日新聞が転換してきた責任— 旧軍から神社へ —
2018年元旦の朝の体験を通じ、朝日新聞が戦前・戦中の自らの責任を旧軍だけでなく神社へと転換してきた構造を指摘し、NHKの公共放送としての役割を考察する。
この新聞社は戦前・戦中の自分たちの所業を旧軍だけではなく神社にも転換して来たのである。
2018-01-01
今朝眼を覚ましリビングに入ろうとした。
昨夜電気を切り忘れたかと思うほど南のベランダから明るい陽光が差し込んでいた。
2018年の始まりに相応しい強烈な日差しだった。
テレビのスイッチを入れたらNHKが2時間で廻る伊勢神宮という番組をやっていた。
私が関西に長い事居住していたにも拘らず一昨年まで、一度も伊勢神宮に行かなかったのは朝日新聞の購読者だったからである事は記述のとおり。
この新聞社は戦前・戦中の自分たちの所業を旧軍だけではなく神社にも転換して来たのである。
だから朝日新聞の精読者は神社を敬遠していたはずである。
こういう番組を放映するのがNHKの「良いところだろう」と友人に言ったら、彼は「正に、それがNHKの良い処でしょう。だからこそ政治については語るな、伝えるだけで良いと私はNHKに、この年頭に言いたい」と言った。
けだし名言であろう。