日清・日露戦争と朝鮮半島。—日本の安全保障を決定づけた150年の構図。
坂元一哉・大阪大学教授の論文をもとに、朝鮮半島が日本の安全保障の要であり続けた歴史を考察。
日清・日露戦争から日米同盟、北朝鮮問題に至るまで、日本外交の根幹を読み解く。
日清・日露の両戦争は、朝鮮半島に巨大な敵対勢力が進出するのを防ぐための戦争でした。
2018-01-10。
以下は月刊誌WiLL今月号に掲載された大阪大学教授坂元一哉氏の論文からである。
神様が私に与えた試練がなかったならば私は高校時分の恩師に厳命されたとおり京大に残って学者としての人生を送っていただろう。
坂元氏は、その京都大学の法学部を卒業し、私の友人の出身大学である大阪大学で教授を務めている。
私は、この論文を読んで、それが単なる偶然ではないと思いもした。
彼の「中国は覇権を求めているといわれます。しかし…」の前後の文節について、読者は、私の文明のターンテーブルの始まりである「覇権安定論」の正しさが、坂元氏に依って証明されていると思うだろう。
見出し以外の文中強調は私。
覇権を求める中国に友人はいるか。
選挙で選ばれていない指導者は政権の正統性を絶えず実績で示さなければならないのです。
安保の要は朝鮮半島。
2018年は明治150年の年にあたります。
区切りがいいので、この機会に明治維新後の歴史を思い起こしつつ、あらためて日本の外交安全保障について考えてみてはどうでしょうか。
日本は今、北朝鮮の核ミサイル開発の脅威に直面していますが、朝鮮半島はこの150年間、日本の安全保障にとって要になる場所でした。
明治から戦前まで、自衛と言えば、これは朝鮮半島の安全も含むものだったからです。
日清・日露の両戦争は、朝鮮半島に巨大な敵対勢力が進出するのを防ぐための戦争でした。
朝鮮半島は、アジア大陸から日本に向けて突き出された、短刀のような形をした場所です。
日本は軍隊を出してでも、自衛のために半島を保護しなければならなかった。
それが戦後は、そうではなくなる。
戦後の日本は海外派兵に懲りて、たとえ自衛のためでも朝鮮半島に軍隊を出さないし、出せないし、出したくない国になったのです。
それはいいのですが、戦後になったら、朝鮮半島と日本の自衛に関係がなくなったか、というとそうではない。
それで朝鮮半島の安全を含めた、日本の自衛をどうするかといえば、これは米国との協力、つまり日米同盟でなんとかすることになった。
日米同盟の起原は、まさに朝鮮戦争における日米協力にあります。
この戦争で日本は、朝鮮半島の安全を米国を中心とする国連軍の行動に任せ、自らは基地を貸すなど、国連軍の支援に専念した。
朝鮮戦争休戦の翌年(1954年)、自衛隊が作られた時に「海外出動禁止」が国会で決議されましたが、ここでいう「海外」が、朝鮮半島を念頭におくものであったのは明らかです。
朝鮮半島でまた何かあっても、自衛隊は出て行かないと決議したわけです。
それから60年後の2014年に、政府は集団的自衛権に関する憲法解釈を変更しましたが、この際も、朝鮮半島で集団的自衛権を行使して米軍を助けることはない、と安倍晋三首相が国会で明言しています。
自衛隊は朝鮮半島に出動せず、その代わり、必要となれば米軍が出動する、日本はその米軍を支援する。
こういう役割分担の日米同盟は、日本が戦前とは違って、自分で直接、朝鮮半島に行かなくても、自衛を全うできる仕組みなのです。
近年、この仕組みは安保法制や新ガイドラインでかなり強化されましたが、今の北朝鮮問題にうまく対応できるかどうか、日本は厳しい試練の時を迎えています。
この稿続く。