朝日の路線転換史と観念的左翼報道—現実から目を背ける言論

大正デモクラシーから戦前の軍国主義、そして戦後の左旋回へ。朝日新聞の歴史的路線転換を辿りながら、現実よりも観念を優先する報道姿勢の背景を検証する。

世界の現実から目をそらし続け、朝日は観念的左翼の主張を展開する。
2018-01-23
以下は前章の続きである。
観念の枠を守るのに必死。
世界の現実から目をそらし続け、朝日は観念的左翼の主張を展開する。
門田氏は朝日の辿った歴史を振りかえれば、なぜいま、彼らが左翼思想に取り憑かれているかがわかると言う。
大正デモクラシーの時代、朝日はその風潮に乗って記事を書いていた。
だが、大正7(1918)年、「白虹事件」が起きた。
皇室への侮辱だとして右翼が朝日社長の乗った人力車を襲い、全裸にして電柱に縛りつけ、首に「国賊」の札をつけた。
同事件を機に朝日は軍国主義礼賛の論調に大転換し、それがずっと続いた。
満州事変を含めて戦前の朝日の軍国主義的論調は、広島・長崎が原爆による攻撃を受けても変わらなかった。
なんといっても彼らは昭和20年8月14日の社説で「一億の国民が全員火の玉」となっても尚、敵と戦えと鼓舞したのだ。
そんな朝日は敗戦後の9月、GHQの怒りを買って2日間の発行停止を命じられる。
震え上がった朝日は、またもや路線を大転換して、今度は左旋回した。
この稿続く。

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