言論封殺の“脅し”と朝日新聞—門田隆将が語る表現の自由への危機
朝日新聞による言論人への訴訟と抗議の構図は、言論・表現の自由そのものへの圧力として映る。
門田隆将の体験を通じ、報道機関が損害賠償をちらつかせて批判を封じようとする構図と、日本の言論空間の危機を論じる。
そんな感想を持ったのは、つい4年前に、私自身が朝日から同様の“脅し”を受けた経験があるからだ。
2018-01-29。
以下は月刊誌HANADA今月号の巻頭に掲載されている門田隆将氏の連載コラムからである。
すでに「朝日新聞」は敗れている。
ああ「体質」は変わらないなあーそんなことを考えながら、私は朝日新聞が文芸評論家の小川榮太郎氏と飛鳥新社に対して、5,000万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求める訴えを起こしたニュースを見た。
そんな感想を持ったのは、つい4年前に、私自身が朝日から同様の“脅し”を受けた経験があるからだ。
いうまでもないが、言論・表現の自由とは、近代民主主義国家にとって、最も大切なものである。
「私はあなたの意見には反対だ。だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」とは、フランスの歴史家であり、文学者だったヴォルテールの有名な言葉だ。
自分と見解がどれほど違っていようと、またそれが誤っていたとしても、その意見は尊重されなければならない。
それが、言論の自由であり、表現の自由である。
4年前の2014年6月、私は朝日の「吉田調書報道」が誤りであり、なぜ誤りであるかを詳細に論評させてもらった。
しかし、その記事に対して、朝日から「言論機関としての朝日新聞の名誉と信用を著しく毀損しており、訂正と謝罪を求める。誠実な対応をとらない場合は、法的措置をとることを検討する」という抗議文が飛んできた。
また2ヵ月後の同年8月にも、同様の論評を新聞紙上に発表した際、ほとんど同じ抗議文を私は受け取った。
それは、「黙れ。黙らなければ、法廷に引っ張りだすぞ」という脅迫にほかならなかった。
私の論評に対して朝日がどんな反論をしてくるのか、私は待っていた。
しかし、朝日は論評に「論評で返す」のではなく、ただ「損害賠償」をちらつかせて、言論を封じるという策に出たのだった。
私は、言論の自由の下で、ともに働いているジャーナリズムの人間が、そのことを「尊重する」のではなく、逆にこれを踏みにじろうとしたことに対して、怒りとともに、ある種の寂しさを感じた。
その後の顛末は広く知られているので、詳述は避けさせていただく。