中国高速鉄道の「美談」と裏切り—日本のODAと技術供与が招いた結末—

本稿は、2015年10月1日に発信した章を再録するものである。
産経抄を手がかりに、中国高速鉄道の発展が、日本や欧州からの技術供与によって支えられながら、やがて「独自開発」を称し、日本を受注競争から排除するに至った経緯を描いている。
インドネシア・ジャワ高速鉄道計画をめぐる日中対決を通じて、日本のODA、技術移転、安全保障意識の甘さを問う一篇である。

2019-04-21
どんな密約が交わされたのか、定かでない。
ともかく、日本から巨額のODA(政府開発援助)を受け取ってきた両国に、まんまとしてやられた形である。

以下は2015/10/1に発信した章である。
先般、日本を代表する大企業で働いているエリートと話していた時、新聞紙の話題になった。
私が、まさか朝日を購読しているのではないでしょうな、と、尋ねると、いや、それは違います。
では何を?
読売を。
なるほど、だが、あれも朝日と大差のない所があると、私は、友人から朝日を止めて、読売か産経のどちらを選択すると問われた時の事を話した。
産経は、30年前に、抱かれていたイメージの新聞では、今は、全くない。
私は、今、一番、まともな新聞だと思っている。

以下は、そんな産経の今日の連載コラム、産経抄からである。
黒字強調は私。

「後ろからムチで打たれて、追いかけられている感じだ」
中国の最高指導者、鄧小平副首相は、時速200㎞のスピードに驚いていた。
1978年10月、来日中初めて新幹線に乗って、東京から京都に向かう途中だった。
近代化を急ぐ鄧氏の言葉は続く。
「私たちが今、必要としているのは、速く走らなければならないということだ」。
中国版新幹線が疾駆する姿を思い浮かべていたのかもしれない。
日本は喜んで、鄧氏の夢の実現に手をさしのべた。
日本のほか、フランスやドイツの技術供与も受けて、中国全土で高速鉄道の整備が進んでいく。
中国の高速鉄道物語は、美談で始まった。
しかしその後は、ピカレスク(悪漢)小説の様相を呈していく。
中国はなんと、教わった技術に改良を加えた高速鉄道を「独自開発」と主張し始めたのだ。
2011年に浙江省で起きた死傷者200人を超す追突、脱線事故にもひるむことはなかった。
原因究明はそっちのけで、海外進出を急いだ。
クライマックスが、インドネシア・ジャワ島の高速鉄道計画をめぐる、日中の受注合戦である。
インドネシア政府は、方針を二転三転させた後、3年前から環境などの調査を進めてきた日本を退け、中国案を採用した。
どんな密約が交わされたのか、定かでない。
ともかく、日本から巨額のODA(政府開発援助)を受け取ってきた両国に、まんまとしてやられた形である。
日本に比べて安全性の確保に問題がある中国に、運行システムを任せて大丈夫なのか。
そもそも、大統領在任中の3年後に完成させるという計画自体に無理はないのか。
今後の展開は、予断を許さない。
もはや物語から放り出された日本にとって、知ったことではないが。

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