日本はなぜ易姓革命を拒んだのか。天皇と神話が築いた独自の政治体制と思想史

日本は中国文明から多くを受け入れながらも、宦官制度、科挙制度、皇帝独裁体制、易姓革命といった根幹部分を拒否し、独自の政治体制と精神史を築き上げた。
天皇を権力者ではなく祭司的存在として戴いてきた日本の歴史と、仏教は受容しつつも儒教を国家思想の中心に据えなかった思想史の流れを通して、日本文明の独自性を論じた一文である。

2019-04-15
家康は天照大神の子孫ではないからです。
このように日本は中国の易姓革命の悪しき伝統から逃れ、日本独特の政治体制をつくりあげることができたのです。

「たとえば、拒否したのは宦官と科挙制度です。
もう一つ大きなことは、皇帝独裁体制を取り入れなかったこと。」と題して2018-01-28に発信した章を再発信する。
以下は前章の続きである。
まずは「日本は文明文化の面で中国からの多大な恩恵を受けた」との意識に関して言えば、確かに、日本は飛鳥時代あたりから、いろいろな形で大陸から文化・文明を受け入れました。
その中には仏教や儒教もありました。
漢字や律令制度も採用しました。
江戸時代になると、儒教的精神をかなり取り入れました。
しかしだからといって、日本の文明文化、そして日本人の精神はずっと中国の影響下にあるのか。
あるいは、日本は中国の文化・文明の亜流になっているのか。
決して、そうとは言えません。
むしろ、今まで日本人は大陸から文化・文明を受け入れながら、自分たちの判断で取捨選択し、悪いと思うものは拒否、意味があると思うものを取り入れてきたのです。
たとえば、拒否したのは宦官と科挙制度です。
もう一つ大きなことは、皇帝独裁体制を取り入れなかったこと。
中国の皇帝は権力者であって、万民を支配する。
日本は、そういう皇帝の大きな権力を拒否し、「天皇」という独特の存在をつくり上げました。
天皇は決して権力者ではありません。
万世一系であり、国民のために祈る祭司としての役割を持っているため、国民から心から敬愛される。
また、天皇の根拠は、中国的な易姓革命、天子は天命によってその地位を与えられて天下を治めるが、もし天命にそむくならば、天はその地位を奪い、他姓の有徳者を天子とするという思想、にまったくよりません。
『古事記』以来の神話によっています。
そうなると、天皇のあり方を見ても、易姓革命はまず起こりません。
たとえば、徳川家康がいくら強力な権力を持ったとしても、天皇にとって代われません。
家康は天照大神の子孫ではないからです。
このように日本は中国の易姓革命の悪しき伝統から逃れ、日本独特の政治体制をつくりあげることができたのです。
この稿続く。

「空海や最澄、親鸞など、みな仏教関係ですが、どうでしょう、儒学者の名前をあげることはまずできません。」と題して2018-01-28に発信した章である。
以下は前章の続きである。
思想面でも、日本が確かに中国思想を受け入れて影響を受けてきたが、日本には独自の思想がないのかというと、必ずしもそうではありません。
逆の視点を持てば、日本は常に中国の影響下から脱出し、独自の思想史・精神史を形成していく過程が垣間見えるのです。
このような逆の視点から日本の思想史・精神史をまとめた私の新刊本が『なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか 「脱中華」の日本思想史』(PHP新書)ですが、本当は副題の『「脱中華」の日本思想史』をメインタイトルにしたかったくらいです。
神仏習合した日本。
日本人は中国文明や思想の影響を受けながらも、最初からそれと対峙して日本独自のものをつくり出そうとしてきました。
先の書物では〈(日本は)特定の文明や思想の束縛から自由な「さっぱりとした心構え」がある〉と表記しました。
一つの例をあげると、儒教と仏教です。
中略。
しかし、飛鳥〜室町時代にかけて、仏教と儒教に対する日本人の姿勢が丸っきり異なっています。
特に飛鳥・奈良時代は、大和朝廷が全力をあげて仏教国家をつくり上げました。
東大寺・大仏を建立し、全国に国分寺を配しています。
鎮護国家として仏教を受け入れ、国家的宗教として広まっていきました。
ところが、儒教に対しては、非常に冷淡だった。
日本の学者が今まで誰も問題提起していない一つの現象として、室町時代以前の日本の思想家で、儒学者は一人も存在していないことです。
空海や最澄、親鸞など、みな仏教関係ですが、どうでしょう、儒学者の名前をあげることはまずできません。

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