平成の佞臣たち―保阪正康、半藤一利、そして白人史観への屈服―

高山正之の連載コラムを通して、保阪正康や半藤一利に象徴される戦後日本の歴史観の歪みを抉り出す。
日本人の名誉を貶め、白人や米国の語る歴史を無批判に受け入れる姿勢は、いかにして日本の歴史認識を誤らせてきたのか。
本稿は、ペリリュー、孫文、満洲、マッカーサーをめぐる記述を通して、その本質を鋭く問う。

2019-04-04
保阪はなぜ詐欺師の孫に反論しなかったのだろう。
彼と仲のいい反日の語り部に半藤一利がいる。

以下は今日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
物事には呼応と言う事があると、慧眼の士の読者たちは皆思ったはずである。

平成の佞臣

保阪正康は歴史を語るとき、日本の中で完結したがる。
外の世界のことは何も考えない。
まるで蛸壺史観だという人がいる。
彼の『なぜ日本は嫌われ国家なのか』などを読むと、それがよく分かる。

例えば激戦の地ペリリュー。
日本軍は米軍との対決を前に、島民を安全な島に移してから最後の一兵まで戦って散った。
それをフィリピンの米兵と比べてみる。
彼らは日本軍に追われてバターン半島へ逃げる途中、「地元民に会うと日本人と区別がつかないから皆殺しにしていった」。
アリゾナ大教授レスター・テニーの証言である。
ペリリューの民は日本軍の思いやりと潔さを今も語り継ぎ、米軍も「日本軍がここでいかに勇敢に戦い、いかに散っていったかを記憶してほしい」と碑に刻んでいる。
米太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツの言葉である。

しかし保阪は違う。
ここで戦った米兵スレッジ某の『ペリリュー・沖縄戦記』の「日本軍が米兵の首を切り落とし胴体の上に載せ、男根を切って口に押し込んであった」を引用して、「米国人はこれほど残忍な民族を知らない」という表現に盛んに頷く。
保阪も、そんな残酷な所業は今も昔も支那人か朝鮮人のものと知っているくせに、それを自分の父親世代の日本人が「真似てやった」と信じ込む。
日本人より米兵の言葉を信じたがる。

そう思い込む前に、米議会証言もあるサンドクリークでのシャイアン族の虐殺記録を読んでほしかった。
そこでは保阪が信じる白人が、まるで白い支那人のように振舞う。
彼らは白旗を掲げる6歳の幼女を撃ち殺し、その母親も殺し、妊娠した女の腹を裂いて胎児を引きずり出す。
トルコ石の指輪を取るために指も切り落とし、仕上げに女の局部を抉って鞍頭に嵌めた。
それが残酷とは無縁と言い張るスレッジたちの正体なのだ。
ついでに言えば、切り落とした首を胴に載せるのはアフガンの風習だ。

保阪はまた、孫文の孫、孫治平に「米国人は日本人より支那人に親近感を持つ」と言われ、鵜呑みにする。
米国人は黒人奴隷が使えなくなって代わりに苦力を入れて大陸横断鉄道を敷いた。
完成後、不要になった苦力は殺された。
アイリス・チャンがそれを暴いて自殺に追い込まれた。
米国人が支那人に親しみなど持つはずもない。
孫文もハワイで差別を味わって逃げ出している。
戻った孫文は漢民族復興を翻し、日本人からカネを騙し取った。
何かの拍子で満洲民族の清王朝が倒れると、孫文は「清の版図、満洲も蒙古もチベットも漢民族のものだ」と言い出した。
清は蒙古などとは連合体を構成した。
ただ漢民族は奴隷扱いで、満洲族との通婚も禁じていた。
孫文の主張は、植民地インドが英国に代わって大英連邦の盟主になるというのに等しい。
国際社会は孫文の言葉を嗤った。

しかし日本が台頭すると事情が変わった。
「日本を脅威と思う」としたセオドア・ルーズベルトの米国は、孫文の戯言を認めて「日本は支那の領土、満洲を侵略した」と言い出した。
スティムソン・ドクトリンのことである。
日本を叩くため、米国は支那を持ち上げ、蒋介石軍に日本を攻めさせた。
日支事変はそれで起きた。
それは多くの史実が指し示している。

保阪はなぜ詐欺師の孫に反論しなかったのだろう。
彼と仲のいい反日の語り部に半藤一利がいる。
昭和天皇を「クソがつくほど律儀で」と評した男は、その一方でマッカーサーを「米陸軍史上最も偉大な将軍」と信奉する。
この将軍は厚木に着くなりタラップ上で失禁し、濡れそぼったズボンで日本に第一歩を印した。
彼は急ぎその写真掲載を禁じ、以降は『1984年』並みの検閲を敷き、法の不遡及も無視して日本人に報復した。
半藤もまた保阪と同じに白人にひれ伏す。
そんな二人が実は今上天皇に何くれとご進講していた。
悪い影響が新しい御代に残らなければいいが。

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