蓮舫二重国籍問題と国家意識。民進党代表選が露わにした政治責任の本質。

2019年5月10日発信。
蓮舫の二重国籍問題をめぐり、日本国籍を持たない者が日本政治に直接関わった責任、民進党代表選の異常さ、そして国家意識の欠如を厳しく論じた一篇。
中国人の家族主義と国家観にも触れながら、日本政治における資格と責任の根本を問う論考。

2019-05-10
当然、中国人には国家を重んじるナショナリズムなどこれまでなかったし、これからもないであろう。そういう流れで蓮某を見ると国家意識などあろうはずがない。
以下は前章の続きである。
蓮舫二重国籍は中国人的体質
民進党代表に選出された蓮舫女に二重国籍問題が浮上した。
八幡和郎氏の提起などがあり、その後、産経新聞などが広く報道した。
この問題は、形式的には日本国籍の選択宣言日(平成二十八年十月七日)が記された戸籍謄本の複写の一部を、彼女が公表したことで一応の収束をみたが、事はそれで終わらない。
これまで一人の外国人(わが国は二重国籍を認めていないので)が日本政治に直接関わったことの責任問題がある。
それに対して、彼女がどのように責任を取るのかという問題が残る。
これを不問に付すことはできない。
公務員において、外国人が任用される場合がある。
例えば、大学関係等の研究者の場合である。
研究者は、研究・教育に限っての活動であるから、一般国民に直接関わらない。
しかし、政治家の場合、彼らは日本国民を指揮したり、制約したりする。
とすれば、当然政治家は日本人でなくてはならない。
外国人に指揮されたり制約されたりする謂れはない。
ところが、蓮某は民主党政権時代に閣僚であった。
明らかに、外国人が日本人を指揮したのである。
これは許せない。
そういうわれわれの批判に対して、彼女はぷるんと平気の面構え。
「別に」という感じである。
その態度に、実は中国人の生活感覚が表れている。
それはこういうわけである。
歴史的に、伝統的に、中国人は家族主義であり、今もその基本は変わっていない。
ただし、家族主義のその〈家族〉は、現代日本の核家族に基づく十人かそこらの親類一統とは異なり、百人、千人単位の家族である。
一族である。
この一族団結は固く、相互扶助(金銭的にも)して生きている。
彼らは、国家の援助などあてにしてはいない。
本宗(総本家)を中心にして互いに助けあっている。
一方、中国の歴代政権は、民の面倒などを見てこなかった。
だから、中国人は国家(政権)などあてにせず、一族の団結で生きてきた。
そういう構造なので、政権担当者が外国人(例えばモンゴル人に由る元王朝)であっても平気であった。
〈関係ない〉からである。
当然、中国人には国家を重んじるナショナリズムなどこれまでなかったし、これからもないであろう。
そういう流れで蓮某を見ると国家意識などあろうはずがない。
だからこそ、今回のことでも、ぷるんと平気。
心の中でこう言っていることだろう、〈日本政治は、日本人一番でなくてはならないのでしょうか〉と。
無資格の者が候補であり、その選挙を平然と行う民進党に対して、同党の他の二候補はそういう選挙を拒否して、立候補を辞退すべきではなかったか。
そうあってこそ、二候補は筋を通せたのであり、そうしてはじめて互いに〈男泣き〉となるのだ。
問題ありの代表では、胸に一物、狼のような党員を使いこなせないであろう。
古人曰く、今太子をして之(軍)を将(ひき)ゐせしむれば、此れ、羊をして狼を将ゐせしむるに異なるなし。皆、力を尽すを為すを肯はず(承知しない)。それ、功無きこと、必(きっとそうなる)、と。

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