テレビは茫漠たるムードを与え、世論調査は煽動を追認する。—歪曲し堕落した世論調査とマスコミの詐術—
2019年6月27日執筆。
本稿は、日本のマスコミが世論調査を用いて世論を誘導し、その結果をさらに煽動の材料として利用している実態を批判する。
質問文の作為、標本の不明確さ、テレビ報道における曖昧なムード形成を通じて、視聴者に「まあ、こういうこと」「いいとはいえない」といった漠然たる印象だけを植え付ける構造を描き、マスコミによる世論形成の歪みを告発する文章である。
2019-06-27
膨大な数の視聴者に茫漠たるムードが与えるというのがテレビの主たる役割のようである。
あらゆる事象が「まあ、こういうこと」にくくられ、あらゆる評価が「いいとはいえない」にまとめられるのだ
次に、もう少し具体的な論点にふれてみよう。
歪曲し堕落した世論調査の惨状。
とくに目立つのは、大報道を回転させていく潤滑油として、各マスコミが世論調査なるものを最大限に利用しているという点である。
「濡れ手で粟をけしからんと思っている人85パーセント、消費税を悪税だと思っている人70パーセント……」といったような数字が紙面に躍り、画面に浮かぶ。
すでに述べたように、世論そのものが常に正しいものとはかぎらない。
のみならず、世論は大いに歪曲し堕落するものであるということをおさえておくのがよき民主主義のための根本条件である。
しかし、ここではそのことにこだわらないとして、世論調査それ自体のうちに含まれる詐術、歪曲を指摘してみたい。
まず多くの場合、各社の世論調査にあって標本数がいくつであるのか、標本の基本的性格はどんなものであるのか、明示されていない。いや、示唆されてすらいない。
身の回りの50人に聞いたのか、何10万という調査表を無差別に配布して回答を集計したものであるのか、あるいは学生アルバイターでも使って電話で意見聴取した結果であるのか、ということなどがあきらかにされない。
ともかく、調査の結果はすべて「国民」の世論となるのである。
しかも、これは世論調査一般にいえることであるが、クエッショネアー(質問事項)の表現のされ方にもマスコミの作為が大いにはたらかされているのだ。
たとえばリクルート献金リストなる真偽の定かならぬ文書を部分公開し、関係者は総勢で150人にのぼるということをスキャンダラスに何週間も報道したあとで、「リクルート関係者をどう思いますか、いかがわしいと思いますか、それとも見逃しにすべきだと思いますか……」という質問を発する。
当然ながら「いかがわしい」という回答が圧倒的大多数となる。
もし、「確なる証拠もないのに実名を挙げて他人を批判するのは、いかがわしいと思いますか、それとも結構なことと思いますか……」というふうに問えば、やはり「いかがわしい」という回答が多くなるであろう。
質問がどういうコンテクストのなかでなされるか、そして質問のターゲットがどこに向けられているか、といったようなことが世論調査の結果を大きく左右するわけである。
世論調査においてマスコミのなしている詐術は数え上げたら切りがない。
これは私の伝聞であるから確言はしないが、学生アルバイターを使った世論調査の場合には、学生たちが喫茶店で国民になり代わって回答を記しているという例さえあると聞く。
大小様々なテクニックを交えながら、マスコミが狙っているのは次のことであろう。
世論を一定段階まで煽動したあとで、その効果を追認するために世論調査の結果を発表し、それを契機にして、いっそう煽動を強めていくということである。
これにテレビの効果まで含めると、事態はまさに惨状である。
ニュースキャスターなるものがふんだんに用いるのはムードである。気分や感情を、まったく曖昧な表現で、しかし決定的な方向性をもった言葉で表現するというやり方である。
たとえば、竹下元首相が「リクルート問題、まあこういうことはいいとは、いえんわなあ」というムードだらけの表現でマスコミに対応したことがあるが、マスコミも「まあこういうことはいいとはいえないでしょうね」という感想を報道の最後に挿入するのである。
結局、視聴者は「いいとはいえないことが起こっている」という印象をもたされてしまう。
リクルート関係者について、ルールに違反するもの、収まるもの、すれすれのものという区別があるのだということを明確にするようなテレビ報道はまずない。
膨大な数の視聴者に茫漠たるムードが与えるというのがテレビの主たる役割のようである。
あらゆる事象が「まあ、こういうこと」にくくられ、あらゆる評価が「いいとはいえない」にまとめられるのだ。
この稿続く。