私の第二の故郷である京都は、私に、植物を、花々を、野鳥を、移り行く自然の美しさを教えてくれた。
2017年1月16日
京都の写真が10万枚を超えただろうか。
私の第二の故郷である京都は、私に、植物を、花々を、野鳥を、移り行く自然の美しさを教えてくれた。
京都御所の庭は京都が日本のエッセンスである事、天皇たちは、日本各地の美しさ、日本の山並みの美しさ、森の美しさ、湖の美しさ、川の美しさ、田園の美しさ、家の美しさ、海の美しさを御所の庭に、桂離宮に、修学院離宮に再現し、その事を私に気づかせてくれた。
同時に、天皇とは日本最大のスーパースターなのだと私に気づかせた。
これは梅棹忠夫と私だけに生じた発想である。
私は、その時、天皇の住むべき場所は京都であると確信した。
御所の庭を、桂離宮を、修学院離宮を訪れている私たち…日本最高の文化遺産と言っても過言ではない場所だから、参観者たちが、傷つけたりしないように、前後を職員が注視している中、私たちは一列縦隊で進んでゆく。
定点観覧の場所で思い思いに写真を撮影したり目に焼き付けたりしている。
その時である。
突然、天皇が、皇族が姿を現すのである。
大歓声が沸き起こる。
それが最も素晴らしい天皇の在り方だと私は気づいた。
梅棹忠夫は黙って同意してくれているはずだ。
かにかくに、梅棹忠夫と私は同等の頭脳を持って、この世に生まれた。
彼は、これこそ本物の学者として、見事な業績を上げてこの世を去ったが。
私が永遠に愛する母校のクラスメートは、私の故郷である閖上の隣町の亘理町に生まれ、日本を代表する企業の大重役になった。
三筆もかくやの見事な筆跡で、私の、いわば途方もない作業を励ましてくれる文言をしたためた賀状をくれた。
鶏で一杯の余白に、柔道部の同窓会で仙台を訪れ飲んだ酒の時間の事と、私にはこれ以上ないエールをしたためて。
S君、僕は日本と世界を正し続けるよ。
自分の役割を果たし続けるよ。
大恩ある師は折々に写経をしていらっしゃると言う。
京都をわが庭として暮らしている私は、写経をしている老若男女を見ないで過ごすことはないと言っても過言ではない。
その先生からの賀状は宛名の有難い筆跡だけで私には万感迫る思いが去来した。
昨年末、美しい街であり、学都でもある仙台で、私たちの会合にぴったりの場所を選定してくれ、素晴らしい時間を過ごさせてくれた、閖上中学校~宮城県立仙台第二高等学校と一緒だったO君。
会の後に、とても良い感じで素敵な女性店主が経営するバーで心行くまでカラオケを歌わせてくれた、後輩のU君。
愛する家族と一緒に年末にUSJ~京都を訪れた人。etc. etc. 皆、いつまでも幸せでありますように。