「無私」だからこその「無敵」|国民の幸せを祈る天皇という世界史の奇跡
2019年10月29日発信。2019年10月22日の産経新聞特集「国民の幸せ祈る世界史の奇跡」に掲載されたSekihei氏の論文をもとに、中国皇帝の「天下国家の私物化」と日本の天皇の「無私」を対比し、皇室の永続と日本国のまとまりの理由を論じる。
2019-10-29
その理由はひとえに皇帝による「天下国家の私物化」であり、民衆への抑圧と搾取だった。
これに対し、日本の天皇は天下国家を決して私物化しようとしない。
以下は10/22の産経新聞に、国民の幸せ祈る世界史の奇跡と題した特集に、「無私」だからこその「無敵」、と題して掲載された石平氏の論文からである。
私が初めて日本の「御代替わり」の光景をこの目で見たのは、来日1年後の1989年、平成元年のことである。
当時は画面越しに御代替わりにまつわる一連の行事を拝見したが、厳かな儀式と天皇陛下の高貴さに深い感銘を受けた。
私の出身国である中国は、日本よりもずっと長い歴史と伝統があるはずだが、今となってはその悠長な歴史は単なる『過去』でしかない。
ましてや過去の王朝が今も国民から尊敬され、万世一系の伝統を保つことなど到底有り得ない。
それに比べ、日本の天皇と皇室は、神武天皇の建国から数えて126代、2600年以上の歴史を紡いできたのである。
長くても数百年しか続かない中国の王朝と日本の皇室は何かどう違うのか。
来日以来、私の疑問だったが、それを自分なりに理解するきっかけは、来日5年後に初めて訪れた京都御所の一般公開だった。
御所の中を拝観して、まず驚いたのは質素さである。
雄大さや豪華絢爛さで言えば、はっきり言って、かつての中国皇帝の住居だった紫禁城の比ではない。
それともう一つ。
日本の最高位である天皇が暮らす施設の割に無防備さが際立っていたことである。
深い外堀と高い城壁に囲まれた紫禁城がまさに難攻不落の要塞であるのに比べ、京都御所は軍事的襲撃を防ぐ機能がほとんど備わっていない。
言葉は悪いが、コソ泥でもあの低い塀を乗り越えて簡単に侵入できてしまうだろう。
考えてみれば、500年以上にわたり、歴代天皇が御所に住まわれたはずだが、襲撃された事実は見当たらない。
あの大乱世の戦国時代でさえ、どこかの軍事勢力に攻撃されなかったのである。
つまり日本の天皇と皇居は、誰かに攻撃される心配がまずないのである。
もっと言えば、少なくとも日本国内において、天皇に「敵」はいないということを意味する。
では、なぜ敵が存在しないのか。
それは、中国皇帝の在り方と比較すればよく分かる。
歴史上、中国の皇帝は常に敵の存在におびえ続けた。
紫禁城や北京の周囲を囲む分厚い城壁や、皇帝自らが国の軍隊を直轄下に置いて権力基盤としたことはそれを物語る。
しかし、それでも中国皇帝は「万世一系」にはならない。
一つの王朝が立つと長くて数百年、短くて十数年、必ずやどこかの地方勢力や民衆の反乱が起き、滅亡を繰り返したのである。
その理由はひとえに皇帝による「天下国家の私物化」であり、民衆への抑圧と搾取だった。
これに対し、日本の天皇は天下国家を決して私物化しようとしない。
ましてや、民衆を抑圧と搾取の対象にしているわけでもない。
天皇は常に国民の幸せを祈り続けており、国民にとってはいわば「守り神」であり、感謝と尊敬をささげる至高の存在でもある。
言い換えれば、天皇は「無私」だからこそ「無敵」であり、日本国が多くの苦難を乗り越えて一つのまとまりとして存続できた理由なのだろう。
私たちはいま一度、天皇の歴史とその有り難さに思いを寄せて、皇室の永続と弥栄を心からお祈りしたい。