17名の委員の中には宮本百合子(宮本顕治の妻)荒畑寒村(社会主義運動家)加藤シズエ(日本社会党衆議院議員)島上善五郎(東京交通労働組合書記長)横ゆう子(日本共産党婦人部員)がいた
17名の委員の中には宮本百合子(宮本顕治の妻)荒畑寒村(社会主義運動家)加藤シズエ(日本社会党衆議院議員)島上善五郎(東京交通労働組合書記長)横ゆう子(日本共産党婦人部員)がいた
2019年07月31日
占領軍はNHKを民主化するために、政府および情報局から切り離して独立の機関(といってもGHQの広報機関)とした。そして、放送委員会を設置させて、名目上ではあるが、NHKの「運営」をこの委員会に委ねた、と題して2019-06-28に発信した章である。
以下は前章の続きである。
NHKの弱体化計画
占領軍はNHKを民主化するために、政府および情報局から切り離して独立の機関(といってもGHQの広報機関)とした。
そして、放送委員会を設置させて、名目上ではあるが、NHKの「運営」をこの委員会に委ねた。
17名の委員の中には宮本百合子(宮本顕治の妻)、荒畑寒村(社会主義運動家)、加藤シズエ(日本社会党衆議院議員)、島上善五郎(東京交通労働組合書記長)、横ゆう子(日本共産党婦人部員)がいた。
そして、5大改造(改革はアメリカ側のプロパガンダなので、私は改造と呼ぶ)の一環として、NHKにも労働組合をつくらせた。
この組合は朝鮮戦争の際に、占領軍が119人もパージしなければならないほど急進的左翼集団となった。
朝日新聞や毎日新聞、映画会社やニュース映画会社(日本映画社など)の労働者(経営者ではない)がWGIPに唯々諾々と協力したのも、労働組合が結成され、過激化し、彼らが突き上げ、攻撃するターゲットが経営側・戦中の旧体制となっていたからだ。
つまり、命じられなくても、彼らは経営側・戦中の旧体制をつるし上げ、非難する心理になっていた。
これは、パージされたのち元NHK職員が入り込んだ民間放送局にも言える。
これらの放送局は1951年以降開局しているので、時期から言ってWGIPに加わっていないが、これをなぞるような反軍国・反旧体制の番組をつくり、報道姿勢をとるようになっていく。
6月令和特大号の「NHKと受信料の奇怪」でも述べたように、自分がしたこととはいえ、あまりにもNHKが左傾化したので、占領も2年目が過ぎると、CIEはNHKの廃止を模索し始めた。
だが、占領が終わるまでは利用しなければならないこともあり、CCSと連携して廃止ではなく弱体化を計画した。
その方策の一部がNHKと民間放送の並立体制を規定した放送法の制定だった。
これは、まだ存在していない民間放送を規定し、民間事業体がそこに参入できるよう法整備をするのが主な狙いだ。
そして、テレビ放送を民間放送にだけ許し、NHKは排除しようとした。
そこで、NHKは、かつて軍部からCIEに乗り換えたように、今度は日本政府に乗り換える。
その働きかけのなかで、当時の首相吉田茂は、NHKにテレビの放送免許を出そうとしない電波監理委員会(CIEがつくらせた政府から独立した機関)をサンフランシスコ条約が発効し、日本が独立を回復した1952年に廃止した。
さらに、吉田学校の優等生である佐藤栄作電気通信大臣が日本テレビ(正式名称日本テレビ放送網株式会社)の開設を準備している正力松太郎の反対を押し切って、NHKにテレビの放送免許を与えた。
この間、CCSやCIEの将校にしたような「接待」を政府関係者にしたのかどうか、結果として、NHKは正力を出し抜いてテレビ日本初放送の栄誉に輝くことができた。
この稿続く。