加地伸行「一定不易」――「身の丈」批判の愚と、志ある者の自彊

2019年11月30日発信。
月刊誌Hanadaに連載されている加地伸行・大阪大学名誉教授の「一定不易」から、「身の丈」発言をめぐる批判の本質を論じる。
「身の丈」を同一にしようとした国家が、ソ連、中国、北朝鮮のように悲惨な結果を招いた歴史を踏まえ、格差そのものではなく、志と自彊こそが人生を切り拓く原動力であることを説く。
貧しい学生時代に家庭教師をしながら中国古典学を学んだ加地氏自身の経験を通じて、進学を金銭だけで判断する現代の風潮を批判する。

2019-11-30
それどころか、過去、「身の丈」を同一にするという政策を掲げた国家がどれほど悲惨な状況に陥ったことか、歴史は示したし、今も示している。
私と同様に月刊誌4誌を毎月購読している、有数の読書家である友人は、「加地大先輩と貴方は呼応しているね」、と言っていた。
以下は26日発売された月刊誌Hanadaの巻頭に、一定不易、と題して連載されている加地伸行・大阪大学名誉教授の論文からである。
〈呆け〉進行中の老生、浮世の近ごろの話、どうも合点がゆかぬて。
先日、なにやら文部卿の失言とやらで、もめたとのこと。
失言とは一大事。
さては義務教育全廃とか、大学はすべて廃校とか、女子大トイレにはすべてオッサン用のトイレを併設とか、大問題発言をしたのかと思いきや、なんと、大学受験生に対して、「身の丈に合わせてがんばって」と発言したとのこと。
それが大失言とは、老生、まったく理解できぬ。
と思いおるうちに、英語の大学受験用民間試験の受験に費用がかかるのが負担であり、またその費用を出せる範囲内にある民間試験の会場が、都会地に多いので地方受験生には不利とかなんとかかんとかという話。
これ、どうやら家庭の経済状態に対しての配慮が足りない、つまり「身の丈」とは、自分の家の経済状態に合わせなさいということで、〈差別〉ではないか、という話らしい。
では、借問す。
「身の丈」(例えば収人状況)が、ほぼにせよ、ほぼ同一となった、あるいは同一の国家の名を挙げてみよ。
そんなもの、どこにも存在しない。
存在しているところは、キリスト教丈化圏では天国、インド諸宗教文化圏では極楽、それも死後においてである。
われわれの属する儒教分化圏には、そのようなものは生前死後ともに存在しない。
世界史上、存在したことのない話。
それどころか、過去、「身の丈」を同一にするという政策を掲げた国家がどれほど悲惨な状況に陥ったことか、歴史は示したし、今も示している。
すなわち崩壊したソ連、崩壊しつつある中国、「身の丈」の同一すらできぬ北朝鮮等々、それを「身の丈」反対者はどう説明できるのか。
「身の丈」が同じでないからこそ、奮起心が起きるのである。
「身の丈」が同じところからは、新しいものは絶対に生れない。
人間は、本質的に気楽な生活を求めるからである。
例えば老生の家庭など、貧しかった。
大学進学時、費用のかかる下宿生活はできなかったので、大阪の家から京都の大学まで通学した。
毎朝六時起床。
就寝は十二時だったので通学の電車内で仮眠の毎日だった。
帰宅途中、週に三~四日の夜は家庭教師のアルバイトを二軒していた。
学費のほとんどは自分で賄なった。
そしてひたすら勉学した。
何度か書いたことであるが、もう一度、書く。
家庭教師先で、学習内容を説明していたとき、教え子の女子中学生は、私の説明している右手の袖口をじっと見ていた。
私は貧しくて一着の詰襟学生服しかなかったため、袖口が擦り切れ開いていたのである。
しかし私は平気であった。
家庭教師で得た金銭は学費に、別(わ)けても、専攻する中国古典学専門書の購入に投じ続けた。
人間さまざまである。
私は貧しいからといって、だれをも恨まなかった。
同境遇の友人の中には社会を恨む者もいた。
そして、いわゆる活動家になった。
しかし、今の彼はどうか。
この資本主義社会の中で、好待遇の人生を送り、今は気楽に豊かに暮らしている。
彼の恨みはどこへ行ってしまったのか。
老生は、昔も今も貧しい。
しかし、心豊かに老後を送っている。
若いころの生活の貧しさが人生の方向を決定したのでもなんでもない。
老生には、中国古典学を専攻したい、その一心の願望があっただけである。
そのために必要な金銭を得るために、いくつもの家庭教師を続けただけである。
己れの家の貧しさを恨んだことなど一度もなかった。
今は昔、近ごろは大学進学を経済的観点からしか見ない雰囲気。
何かをしたい、そのために学びたい、という志だけが進学先を決めるのであって、金銭で決定するのは誤りである。
志があれば金銭などどうにでもなる。
古人曰く、天行は健なり。
君子以て自彊(自強)息(や)まず(辞めない)、と。
また曰く、志有る者、事(目的)、竟(つい)に〔完〕成す、と。

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