深い追悼の時間――長居植物園とショスタコーヴィチ:交響曲第11番《1905年》第3楽章

2023年6月7日の長居植物園で撮影した写真によって構成した作品です。
音楽は、ショスタコーヴィチ:交響曲第11番《1905年》第3楽章。
演奏は、第1楽章、第2楽章と同じく、ベルナルト・ハイティンク指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団です。
第1楽章では、事件が起きる前の張り詰めた沈黙を見つめました。
第2楽章では、その沈黙が破られ、歴史が動き出しました。
そして第3楽章では、時間は深い追悼の中へ沈んでいきます。
ここにあるのは、勝利の音楽ではありません。
ここにあるのは、失われた人々への哀悼であり、声を奪われた人々の記憶であり、歴史の底に沈んだ悲しみです。
ショスタコーヴィチは、1905年のロシア「血の日曜日」を描きながら、単なる過去の事件を音楽にしたのではありません。
国家権力の前で沈黙を強いられた人々。
暴力の中で消えていった無数の命。
そして、それでも消えることのない人間の記憶。
そのすべてが、この第3楽章の深い響きの中に刻まれているように感じます。
2023年6月7日の長居植物園には、初夏の花々、緑、水辺の光、静かな時間がありました。
それらは、歴史の悲劇を直接語るものではありません。
しかし、美しい自然の静けさは、時に、人間の言葉では語り尽くせないものを受け止める力を持っています。
私はその静けさの中に、ショスタコーヴィチの第3楽章が持つ追悼の気配を重ねました。
ベルナルト・ハイティンクの指揮は、この音楽を過剰に劇化しません。
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の深く澄んだ響きは、悲劇を叫びではなく、沈黙の重みとして立ち上がらせます。
その抑制された深さこそ、この第3楽章にふさわしいものだと思います。
私は長いあいだ、ショスタコーヴィチやプロコフィエフを、ソビエト=共産主義国家の作曲家として、敬して遠ざけてきました。
しかし今、私は彼らの音楽を、体制の音楽としてではなく、20世紀を生き抜いた人間の証言として聴き直し始めています。
この作品は、6月20日の大阪フィルハーモニー交響楽団定期演奏会、フェスティバルホールでの実演に向けた、私自身の予習として制作したものです。
撮影地:長居植物園
撮影日時:2023年6月7日
音楽:ショスタコーヴィチ:交響曲第11番《1905年》第3楽章
演奏:ベルナルト・ハイティンク指揮/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
6月20日 大阪フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会/フェスティバルホール 予習作品

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