歴史はまだ終わっていない――長居植物園とショスタコーヴィチ:交響曲第11番《1905年》第4楽章
2023年6月7日の長居植物園で撮影した残りの写真137枚によって構成した作品です。
音楽は、ショスタコーヴィチ:交響曲第11番《1905年》第4楽章。
演奏は、第1楽章から第3楽章までと同じく、ベルナルト・ハイティンク指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団です。
第1楽章では、事件が起きる前の張り詰めた沈黙を見つめました。
第2楽章では、その沈黙が破られ、歴史が動き出しました。
第3楽章では、失われた人々への深い追悼の時間へ沈んでいきました。
そして第4楽章では、歴史は再び立ち上がります。
ここにあるのは、単なる終結ではありません。
弾圧された人々の記憶。
奪われた声。
消されなかった怒り。
そして、未来へ向かってなお響き続ける警鐘です。
ショスタコーヴィチは、1905年のロシア「血の日曜日」を描きながら、過去の一事件だけを音楽にしたのではありません。
この交響曲には、国家権力の暴力、民衆の悲劇、沈黙を強いられた人々の記憶、そして20世紀を貫いた恐怖の構造が刻まれています。
スターリン時代を生き抜いた作曲家でなければ書けなかった音楽です。
私は長いあいだ、ショスタコーヴィチやプロコフィエフを、ソビエト=共産主義国家の作曲家として、敬して遠ざけてきました。
しかし今、私は彼らの音楽を、体制の音楽としてではなく、20世紀を生き抜いた人間の証言として聴き直し始めています。
第4楽章は、その証言が最後に巨大な形で立ち上がる音楽です。
それは勝利の音楽であると同時に、決して単純な勝利ではない。
歓喜の中にも、怒りがある。
高揚の中にも、犠牲者たちの記憶がある。
終結の中にも、歴史はまだ終わっていないという響きがあります。
2023年6月7日の長居植物園には、初夏の光、花々、緑、水辺、そして時間の流れがありました。
その美しい自然の写真137枚を、私はこの第4楽章に重ねました。
自然は政治を語りません。
しかし、音楽と重なった時、自然の光や花々や水辺は、人間の歴史を静かに照らし出すことがあります。
ベルナルト・ハイティンクの指揮は、過剰な劇性ではなく、巨大な歴史を冷静に見据える深さを持っています。
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の響きは、この終楽章にある悲劇、怒り、威厳、そして最後の警鐘を、重く、深く、透徹した形で浮かび上がらせています。
この作品は、6月20日の大阪フィルハーモニー交響楽団定期演奏会、フェスティバルホールでの実演に向けた、私自身の予習として制作したものです。
撮影地:長居植物園
撮影日時:2023年6月7日
写真:137枚
音楽:ショスタコーヴィチ:交響曲第11番《1905年》第4楽章
演奏:ベルナルト・ハイティンク指揮/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
6月20日 大阪フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会/フェスティバルホール 予習作品