野党に甘すぎるマスコミ――安住淳の新聞採点事件が示した報道の二重基準
月刊誌「正論」に掲載された阿比留瑠比氏の論文をもとに、立憲民主党・安住淳氏による新聞各紙への論評貼り出し事件を検証する。自民党が同じことをすれば「報道への圧力」と大騒ぎしたであろうマスコミが、野党の言動には甘い二重基準を批判する。
2020-03-03
野党に甘すぎるマスコミ――安住淳の新聞採点事件が示した報道の二重基準
以下は前章の続きである。
野党に滅法甘くていいのか。
同時にマスコミも、こうした野党側の悪質な質問を特に問題視せず、ひたすら政権批判だけに明け暮れている。
そして、そうした歪んだ姿勢を野党に利用され、それでいて馬鹿にされている。
今国会では、立憲民主党の安住淳国対委員長が二月四日、国会質疑の模様を伝えた同日付の新聞各紙に自らの論評を加え、国会内の衆院会派控室のドアに貼り出すという事件もあった。
それによると、朝日、毎日両紙は「花丸」マーク。
読売は「ギリギリセーフ」。
日経は「出入り禁止」「くず〇点」。
産経は、わざわざ各紙よりも下方に貼られており、「論外」との評価だった。
内心どう思おうと自由である。
だが、野党第一党の幹部が、こんなものを国会内に掲示する幼稚さよ。
立憲民主党が産経を敵視するのは勝手である。
だが、こうした評価は果たして正当か。
例えば、くず呼ばわりされた日経については、ポスト安倍の本命視されている自民党の岸田文雄政調会長の質問にスポットを当てたため、野党の質問の扱いが小さかったのが気に入らなかったらしい。
だが、この時期に岸田氏に焦点を当てるには相応の理由がある。
それは日経の編集権の問題でもある。
安住氏は思い上がっている。
安住氏は時間を置かずに貼り出しをはがし、一応、「ちょっと調子に乗った」「ほんの冗談のつもり」「感情の思うままに書いてしまった」などと記者団に釈明した。
だが、これと同様のことを自民党が行ったら、マスコミはどんな反応を示しただろうか。
報道への圧力だの、言論弾圧だのと大騒ぎするのは容易に推察できる。
テレビのワイドショーも連日取り上げたことだろう。
逆に、立憲民主党のこんな振る舞いを許し、翌日の紙面でも小さくしか報じなかった新聞各紙が情けない。
きちんと怒りを示して対峙すべきは、政府・与党ばかりではないはずである。
小選挙区制度の下では、衆院選の結果次第で、今日の野党は明日の政権与党になっているかもしれない。
権力の監視を言うのであれば、野党の言動もきちんとウォッチし、国民に伝える努力をするのは当然である。
阿比留瑠比氏のこの指摘は、まことに正鵠を射ている。
日本のマスコミは、口を開けば「権力の監視」と言う。
だが、その権力とは、政府・与党だけを意味するのか。
野党第一党の幹部が、国会内で新聞各紙を採点し、気に入らない報道機関を「出入り禁止」「くず〇点」「論外」などと貼り出す。
これは、報道機関に対する圧力ではないのか。
もし自民党の国対委員長が同じことをしたなら、朝日新聞は一面で大騒ぎしただろう。
テレビのワイドショーは、連日、識者を並べて「政権による報道弾圧だ」と騒ぎ立てただろう。
NHKもまた、深刻そうな顔で「報道の自由が問われています」と報じたに違いない。
ところが、立憲民主党がやれば、小さく扱う。
冗談だった、調子に乗った、感情のままに書いた。
それで済ませる。
これが、彼らの二重基準である。
報道機関は、野党に馬鹿にされているのである。
自分たちに都合のよい記事を書けば「花丸」。
気に入らない記事を書けば「くず」。
それを国会内に貼り出されても、本気で怒らない。
いや、怒れない。
なぜなら、彼ら自身が野党と同じ方向を向いて、政権批判のために報道をしているからである。
これでは、新聞は権力の監視者ではない。
特定政治勢力の応援団である。
国民は、この構造を見抜かなければならない。
マスコミが「権力監視」と言う時、その言葉はしばしば、政府・与党だけを攻撃するための方便になっている。
だが、民主主義において監視されるべきは、政府だけではない。
政権を狙う野党もまた、将来の権力である。
野党の言動を甘やかし、問題視せず、国民に知らせない報道は、民主主義を守る報道ではない。
むしろ、民主主義を歪める報道である。
国会を荒涼とさせているのは誰か。
報道を政治工作に変えているのは誰か。
野党の暴走を黙認し、政権批判だけを正義のように演出しているのは誰か。
答えは明らかである。
立憲民主党などの主流派野党と、朝日新聞をはじめとしたメディアである。
この稿続く。