原子力という両刃の剣――岡井隆が問い続けた人間の英知と責任
医師であり、前衛短歌運動を代表する歌人でもあった岡井隆は、原子力を医学と同じ「両刃の剣」と捉えていた。
福島第一原発事故後も原子核エネルギーへの信頼を失わず、批判を恐れずに自らの考えを歌に詠み続けた岡井隆の思想と生涯を、2020年7月14日付「産経抄」から紹介する。
2020-07-14
本文
医師でもあった岡井さんは、両刃の剣である原子エネルギーを医学に例えたことがある。
その発達がもたらした高齢化社会は、必ずしも幸福とはいえない。
だからといって、医学を否定するわけにもいかない。
2020年7月14日、歌人・岡井隆さんが原子力をどのように捉え、社会と向き合ってきたのかを伝える文章が「産経抄」に掲載された。
岡井隆さんは、原子力が持つ危険性を認識しながらも、その危険性だけを理由として、人類が築いてきた科学と知性の成果そのものを否定することはしなかった。
以下は、2020年7月14日付「産経抄」からである。
文中強調は私。
歌壇の大御所である岡井隆さんは、かつて寺山修司さんや塚本邦雄さんらとともに「前衛短歌運動の旗手」と呼ばれていた。
前衛短歌は、写実を旨としてきた伝統的な短歌に対して、虚構を持ち込み、政治や社会をも大胆に詠むのが特徴とされる。
岡井さんにとっての「政治や社会」には、旧制高校の物理学の講義で学んだ原子力も含まれていた。
〈亡ぶなら核のもとにてわれ死なむ人智はそこに暗くこごれば〉
昭和58年ごろの作品である。
核エネルギーには、暗く危険な部分があっても、人間の英知が凝縮している。
皮肉を込めながらも、平和利用の推進に賛同していた。
医師でもあった岡井さんは、両刃の剣である原子エネルギーを医学に例えたことがある。
その発達がもたらした高齢化社会は、必ずしも幸福とはいえない。
だからといって、医学を否定するわけにもいかない。
その思いは、東日本大震災による東京電力福島第一原発事故の後も変わらなかった。
〈原発はむしろ被害者、ではないか小さな声で弁護してみた〉
〈原子核エネルギーへの信頼はいまもゆるがぬされどされども〉
〈原子力は魔女ではないが彼女とは疲れる(運命とたたかふみたいに)〉
あくまで「小声」ながらも、原発を容認する作品は物議を醸した。
「日本中の新聞で原発擁護を書いたのは岡井さん一人。袋だたきに遭いますよ」
周囲からそう言われても、まったく動じなかった。
「前衛」が、宮中歌会始の選者や、天皇、皇后両陛下の和歌の相談役である宮内庁御用掛を務めてよいのか。
そんな批判に対しても、一切言い訳をしなかった岡井さんが、92年の生涯を終えた。
亡くなる直前まで社会への関心を失わず、新型コロナウイルスを題材にした歌を作り続けていたという。
岡井隆さんが原子力を無条件に礼賛していたわけではない。
〈されどされども〉という言葉に表れているように、その内面には、原子力への信頼と、原発事故がもたらした現実との間で揺れる深い葛藤があった。
それでも岡井さんは、原子力を単純な悪として断罪することを拒んだ。
医学が人間の命を救う一方で、高齢化や新たな苦悩をもたらすことがあるように、原子力にもまた、恩恵と危険という二つの側面がある。
重要なのは、危険が存在するから科学を否定することではない。
危険を正しく認識し、人間の英知と責任によって制御し、より安全な利用を追求することである。
批判や孤立を恐れず、自らが信じることを歌に詠み続けた岡井隆さんは、最後まで真の意味での「前衛」であり続けたのである。