ゼレンスキーも日本の悪口を言う暇があったら、少しは日本の戦い方を学んでみるがいい。

以下は、9/1に発売された定期購読専門月刊誌テーミスに連載されている高山正之の論文からである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。本論文もノーベル文学賞或いは平和賞に値するのは彼を措いて他にはいないことを証明している。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読である。

ゼレンスキーは日本に学び「モスクワ奇襲」を断行しろ
日本が大東亜戦争で勇気と叡智を駆使して実行した鮮やかな戦法に倣ってロシア本土を攻撃するときだ     

露の侵攻を真珠湾に例えたが 
ウクライナ戦争を見ていて、よく分からないことがあった。
なぜセレンスキーはモスクワを攻めないのか。 
ロシアはいきなりウクライナに攻め込んできて市民を皆殺しにしながらキーウに攻め上り、制圧しようとした。 
プーチンはウクライナをロシア領に併合し、ベラルーシをかたって大スラブ連邦にでもする気だったのだろう。 
ただセレンスキーはプーチンがクリミアを電撃攻略した手口を忘れていなかった。
ことを始めた露軍に対し彼らの通信網を即座に撹乱した。 
やむを得ず携帯電話で連絡を取るのを傍受し、ロックオンして逆に露軍のT90戦車をミサイルで吹き飛ばした。 
結果、―週間で済むはずのプーチンのウクライナ攻略は2年半経った今もまだ終わっていない。 
露側の戦死者はその1年目で2万人に達し、ソ連崩壊の原因となったアフガン侵攻の戦死者数1万5千人を上回り、今の戦死者数は5万人を超え、米国のべトナム戦争の戦死者数に迫っている。 
日本人はロシア人の卑劣な戦い方を知っている。
彼らは不可侵条約を通告なしに破棄してポツダム宣言受諾直前の日本を背中から襲ってきた。 
非戦闘員の邦人まで襲って略奪と強姦の地獄を満洲で繰り広げた。 
それがいかに凄まじかったか。
引揚げ船が入る博多港の二日市保養所では強姦で妊娠した女性の中絶手術が行われたが、そこに残る統計では強姦犯の半分はロシア人、もう半分は朝鮮人だった。 
ロシアは国際法に背いて60万人もの捕虜をシベリアに連行して10年間も奴隷使役させた。
原爆に並ぶ蛮行だ。 
プーチンはそんな悪辣が今回も通じると思っていたのだろう。
とんだドジを踏んだものだ。 
ところで戦争の行方だが、プーチンは意固地になって停戦もしない。
それどころか彼に批判的な部下やジャーナリストまで平気で暗殺して回っている。 
プーチンに今更自裁など望むべくもない。
でも、せめて病気にでもと願う市民の心根が痛いほど分かる。 
しかしあの男はなぜかすこぶる健康で、元気に支那朝鮮まで出張っては武器弾薬を調達して歩く。 
こうなると頼みはセレンスキーになるが、彼は何を考えているのか。 
彼は訪米の折、プーチンの不意の侵攻を「真珠湾」に譬えた。 
何と失礼な男だろう。
あの戦争はプーチンよりずる賢いF・ルーズベルトが米太平洋艦隊を孤立無援のハワイに囮として置き、そのうえで日本に様々な嫌がらせをして真珠湾を襲わせた。 
山本五十六らお人好しの日本人はそれで騙せた。
それも理解できないで日本を腐しておいてカネを無心する。 
日本人に無礼を詫びない限り援助などもうないと思うがいい。 
日本は植民地帝国主義をかざす英米蘭に向かって戦争をした。
足元では米国に金で買われた蒋介石が咬みついてくる。 
それでも日本は誰にもカネをせびらず持てる力の限りを尽くして3年戦った。
この稿続く。 

躊躇せずに国境の拠点を叩け 
それに比ベゼレンスキーはカネをせびり、兵器も戦闘機もくれという。
それでいてロシアを本気で怒らせたくないのか、ロシア本土も攻めなかった。 8月に初めてロシア領クルスク州スジヤに1個旅団のウクライナ兵が侵攻した。
そこには露側の原発があり、欧州へ天然ガスを供給するパイプラインの管理施設もある。 
原発が被害を受ければチェルノブイリの二の舞だし、天然ガスがアウトになればそれで引き留めていた欧州の態度もころりと変わる。 
プーチンはびっくりして怒りの声明を出した。
ハリコフを攻めていた露軍を急ぎスジヤに回すなど対応に追われていると外電は伝える。 
国境は長い。
そしてスジヤと同じようにロシア側にとってやられれば致命的な損失を受ける重要拠点は多い。 
スジヤを参考にモグラ叩きのようにあちこちを急襲しては即引き上げる。
それを繰り返せば露側はパニックになる。 
戦争中に躊躇いはいけない。
日本も先の戦争ではミッドウェーで躊躇い、小沢艦隊が躊躇い、負けてしまった。 
いえることはそういう奇襲を繰り返せば必ずクルスク州の先まで行ける。 
その向こうにはナポレオンでも行けなかったモスクワがあるということだ。 そうなったらプーチンは報復に戦術核を使うとかいう。
しかし、やったらプーチンは今度こそ終わりだ。 
持てる力を目いっぱい惜しみなく使うがいい。
でも戦う弾も兵器もなくなったらどうするんだ。 
心配はない。
先の戦争で何もなくなった日本はB29の本土爆撃に対抗して立派な大陸間弾道爆弾を生み出した。 
ヒントは気象学者、大石和三郎がもたらした。
当時、対流圏の上は無風状態と思われていたが、実は秒速60mのジェット気流が東向きに吹いているのを発見。 

全米が混乱に陥った風船爆弾
そこに蒟蒻玉と和紙で作った水素ガス風船を乗せれば米大陸まで飛ぶことが分かった。
運べる重量は35㎏だった。 
かくてB29の空襲下、9千発の風船爆弾を飛ばし、300発が米本土を空襲した。 オークリッジの原爆施設を停電させたほか、人的被害も与えた。 
音もなく降ってくる風船爆弾には「炭疽菌が積まれている」という風評も立って全米がパニックに襲われた。 
通報があるとCDC疾病対策予防委900人が白装束マスク姿で一帯を封鎖。
それが市民を震え上がらせた。 
B29の250キロ爆弾とは比較にはならないが、米市民に彼らが他国民に与えてきた空襲下の恐怖を味わう機会を与えた。 
貧しくとも勇気と叡智があればいくらでも戦える。 
ゼレンスキーも日本の悪口を言う暇があったら、少しは日本の戦い方を学んでみるがいい。

2024/9/5 in Onomichi

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