北京の国際空港や地下鉄を利用する日本人は少なくなかろうがこれらが日本のODAによって建設されたものだということは知らないだろう。

2020/2/24
以下は昨日の産経新聞の書評欄からである。
日中友好に寄与したのか
ODA幻想 対中国政策の大失態
著者古森義久
1990年代、日本はODA(政府開発援助)において世界最大の規模を誇り「ODA大国」と呼ばれた。
中国が圧倒的な対象国だった。
北京を中心に沿海部主要都市の交通インフラの基盤は、日本のODAがあって日の目をみたといっていい。
北京の国際空港や地下鉄を利用する日本人は少なくなかろうが、これらが日本のODAによって建設されたものだということは知らないだろう。 
どうしてなのか。
日本人が知らないまでも、あれだけの大きな貢献なのだから中国人が知らないはずはないと思うのだが、まったく知らない。
なぜなのか。
本書はこのような疑問に答え、さらにこの疑問のいきつくところが共産党一党支配という中国の特異な体質にあることを説得的に展開している。 
日本の対中ODAは1979年に始まり2018年をもって終了した。
終了宣言が出されたのは18年10月の日中首脳会談においてであった。
習近平・国家主席は40年にわたる巨額のODA供与に謝意を示すのかと思いきや、「日本のODAによる貢献を高く評価する」というだけに終わった。
「評価」の一言のみだった。 
国交樹立の基本文書・日中共同声明で「戦争賠償の請求を放棄」とうたった以上、中国は賠償とはいえない。
賠償に感謝するとは「矛盾」である。
しかし、要するに賠償なのである。
著者は「日本からのODAはじつは戦後賠償なのだという認識は中国側では政府に限らず、国民レベルで存在した」という。
そういう「認識」については私も何人かの中国の知識人から聞かされたことがある。 
困ったことに、日本政府にとって対中ODAは賠償の「代償」なのである。
日本側には 「とにかく中国の要求に応じて資金を提供せねばならないのだ、という強迫観念のような切迫性」があったと著者はいう。
私もそう思う。 
問われるのは対中ODAが「日中友好」に寄与したのかだが、まるで寄与していないという。
反日暴動、反日イベント、尖閣諸島攻勢など友好とは正反対の方向に進んでいるのが現実だとみる。
日中関係の現在が著者の優れたリアリズムを証しているではないか。

評・渡辺利夫(拓殖大学学事顧問

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