知性とは異なる立場を結ぶ広さである――「新京都学派」から問う政治とテレビ報道の責任

2011/8/27
本来は、桑原武夫の後を継ぐべきはずであった私、これは本当の話なのだ…が、言うのだから聞いてくれ。
右は会田雄次から左は井上清に至るまで、幅広い人間を集めて学際研究を為したのが、「新京都学派」であった。
つまり、横の広がり。
関係性は、自然界の真実と同じく、「並列」であったのである。
前原の駄目な所は、何時までたっても本当に懐が狭いという所、あれは私に言わせれば 無数にいる「京大に入りました、はい、出ました」という類の人間に過ぎない。
本当の知性というものが無い。
国内で為さねばならない妥協の一つもできずに、対外的にここぞという時に、どんな事ができるのか、もはや、言及する必要もなく。
TVカメラの前で、何事か話す事を政治と心得ている…。
つまり、これをこそ政治屋というのだ。
小沢一郎が言う様に、前原が首相になったら日本は駄目になる。
それは全くその通りなのである。
第三次補正予算など、もはやもう骨格が決まっていて、嘘と思うのなら、私が紹介した、週刊AERAからの記事を再読されればよろしい。
そんな時に、とにかく真実は覆い隠して、TVカメラの前で見得だけを切る。
この30年超、日本がやってきた事は、本当になんという嘆かわしい事だろうか。
古館よ、或いは報道ステーションよ、そして日本のすべてのニュース報道に関わってきた者達よ、
君達の罪は、海よりも深い。
謝って済むような事ではないぞ、もはや。

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