「書けない記事」――高山正之が問う関電金品問題と報道のタブー

しかし、枝野の反原発政策をだしに森山が原発擁護で大金を動かしていた。説明責任は関電より枝野にあるように見えるが。
2019年10月25日
有数の読書家である友人が「今日発売された週刊新潮を読みましたか?高山正之と貴方は呼応しているね」と言って来たのである。
そこで、直ぐに近所の書店に週刊新潮を買いに行き、帰宅後、直ぐに掉尾を飾る高山正之のコラムを読んだ。
書けない記事
朝日新聞の経済部記者に某企業の部長が面会に来た。
記者は「オレは社長にしか会わん」と追い返した。
永栄潔の『ブンヤ暮らし三十六年』にある1コマだ。
あるいは東京新聞の望月衣塑子。
相手が官房長官でも思い付きでいい、問い詰め続ければボロを出す。
たかが新聞記者が地検特捜の検事より権力があると思い込んでいる。
取材相手はだいたいが紳士。
口より先に手が出るヤクザは滅多にいない。
だからこちらも含めて凡そ新聞記者は幾ばくか衣塑子的だったと思う。
「それがいけない」と夕刊フジ編集局で一緒になった3期上の宮崎健が体験談を語ってくれた。
彼は大阪本社出身で三重支局に出た。
ネタもないけれど動きたくもない。
県政クラブから外をぼんやり眺めていた。
外では失対作業員が植栽の手入れをしていた。
それがまるで静止画だった。
実際、彼らの手は動いていなかった。
しゃがみ込んで仲間と話しに興じ、日がな一日過ごしていた。
長い観察を終えて県の担当部局を取材した。
ものすごく高い賃金が支払われていた。
すぐ活字にした。
ところが翌日、一本の電話があって支局長の顔色が変わった。
記事で批判した一団は解同関係者だった。
「事実を書いた」と釈明したところで、事実など何の意味もなかった。
彼は差別糾弾集会に呼ばれ、紙面を使って不当な差別をしたと糾弾され、自己批判せよと言われた。
詫びても罵られ、糾弾は果てしなく続いた。
「涙が止まらなかった」と普段はヒトを食って生きているような人が真顔で言った。
世の中、望月衣塑子も敵わぬ存在がある。
話を聞いて間もなく、それを垣間見る機会があった。
取材で都庁に寄ったらロビーも各階段も異様な集団が座り込んでいた。
広報課に何ごとかと聞いたら、「解同が美濃部に2区をよこせと団交中」とかで、座り込みはもう1ヵ月も続いているという。
23区が21区になろうという。
そんな大事をどの新聞も一切、コワくて記事にしていなかった。
そしてリクルート事件が起きる。
楢崎弥之助の許に江副浩正が助けを求めにきたのが発端だった。
解同のドン松本治一郎の大番頭だった楢崎は、江副を助ける代わりに彼の使いで来た人物の口上を隠し撮りして公表した。
新聞は楢崎の背信を一切書かなかった。
彼の後ろにいる松本治一郎についても触れなかった。
触れるのはタブーだった。
そんな時代が終わったかと思わせる事件が東日本大震災のあとにあった。
松本治一郎の孫で復興担当相の松本龍が仙台を視察した。
県庁での会談に村井知事が遅れたのを龍は咎めて毒づいた。
最後に「この発言はオフレコだ。書いた社は終わるからな」と言った。
記者たちが聞き慣れ、震え上がってきたセリフだった。
しかし東北のメディアは復興相が何者なのか知らなかった。
暴言をそのまま放送した。
復興相は辞任させられた。
新しい時代の訪れをちょっと予感させた。
関電幹部が高浜町の元助役、森山某から総額3億円の金品を貰っていた。
森山は朝日新聞が書きたてる

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