中露歴史共闘の虚構を暴け――日ソ中立条約違反と歴史戦への反論の必要性
産経新聞の遠藤良介コラム「中露歴史共闘にひるむな」は、日本が旧ソ連に対して道義的優位にある事実を強調し、ロシアの歴史戦への警戒を呼びかける。
1945年、ソ連は日ソ中立条約を破って対日参戦し、ポツダム宣言受諾後も攻撃を続行。
北方領土占領やシベリア抑留などの国際法違反を隠し、「中ソ共闘で日本軍国主義に勝利した」という虚構を中国と共に広めている。
日本は中露の歴史捏造に対し、国際社会で断固反論し続ける必要があると訴える。
以下は、今日の産経新聞に、中露歴史共闘にひるむな、と題して掲載されている遠藤良介の定期連載コラムからである。
先の大戦に関する評価はさまざまだとしても、確かにいえることが一つある。
日本は旧ソ連・ロシアに対して何ら非がなく、道義的に完全な優位にあるということだ。
ロシアの歴史戦に決してひるんではいけない。
1945年8月15日は昭和天皇が玉音放送で終戦を告げた日だが、ソ連はこれをI顧だにしなかった。
ソ連は終戦間際の9日、日ソ中立条約を破って対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した14日以降も攻撃を続けた。
日ソ中立条約は41年4月に締結され、有効期間は5年だった。
日本が中立条約を守ったからこそ、ソ連はナチス・ドイツとの激突に集中し、勝利できた。
それにもかかわらずソ連は中立条約を一方的に破棄し、広島に原爆を投下されていた日本に不意打ちを喰らわせた。
満州や南樺太、朝鮮半島、千島列島に一方的に侵攻し、将兵だけでなく民間人も殺戮した。
ソ連軍が千島列島に侵攻したのはポツダム宣言受諾後の8月18日。
北方領土の占領を終えたのは、日本が降伏文書に署名した後の9月5日だった。火事場泥棒と呼ばずして何と呼ぶか。
満州や朝鮮などからは約60万人の日本軍将兵や民圜人をシベリアなど各地に連行し、強制労働や飢えで約6万人が死亡した。
この強制抑留は、武装解除後に日本将兵らを帰還させるとしたポツダム宣言にも国際法にも違反する行為たった。
ロシアの公式史観は、日ソ中立条約に違反した事実をひた隠しにしている。
その上で「ソ連軍は旧本の関東軍を粉砕し、中国東北部と北朝鮮、南サハリン(樺太)、クリール諸島(千島列島と北方領土)を解放した。それによって第二次大戦の終結を早めた」などと主張している。
ロシアが対日参戦や北方領土領有の根拠としているのはヤルタ協定(45年2月)だ。
米英ソの首脳が、ドイツ降伏後のソ連による対日参戦や千島列島の獲得を密約したものである。
しかし、日本のあずかり知らぬ密約によってソ連の中立条約違反や戦後の日本人抑留といったことが正当化されるはずもない。
ヤルタ協定は領土問題の処理を定めたものでもない。
ロシアはそのもろい論拠を補強するために、歴史を巡る中国との共同戦線に活路を見いだそうとしている。
プーチン露政権は2020年、従来は9月2日だった事実上の対日戦勝記念日を、中国の「抗日戦争勝利記念日」と同じ3日に移して足並みをそろえた。
ソ連の対独戦勝利から80年だった今年5月には、中国の習近平国家主席が訪露してプーチン大統領と会談し、「中ソの戦勝80年」を記念する28ページ(露語版)の共同声明が出された。
「旧ソ連と中国が共闘してナチス・ドイツと日本軍国主義に勝利した」というナラティブ(物語)を強調する内容だった。
ソ連と中国人民は「肩を並べて侵略者と戦い、損得抜きで互いを支えた」などと記されている。
ロシアとしては、日中戦争(1937~45年)で中ソが共闘関係にあったとの絵を描き、日ソ中立条約違反などの不法行為をかき消す思惑がある。
中国共産党にとっても、抗日戦争の主体が国民党軍だったという事実を糊塗する上で、中ソが共闘したというナラティブは有益に違いない。
9月3日にはプーチン氏が訪中し、歴史共闘を改めて打ち出す見通しだ。
「嘘も百回言えば真実になる」が通用せぬよう、中露の虚説には逐一強力に反論する必要がある。
(外信部長兼論説委員)