猶更、私たちは、万博2025の跡地は、国立万博2025記念植物園としなければならない。

著者は大阪・関西万博2025の大屋根リング、迎賓館を国宝として永久保存し、その内側に世界最高の植物園を造営する構想を提示する。
闘病経験と京都府立植物園での日々を背景に、植物園の癒やしと交流の価値、四季を彩る都市型植物園の可能性を描き、持続可能な万博レガシーと世界遺産登録を提案する。

昨夜、万博の跡地利用について、今を生きる空海、今を生きる信長=文明のターンテーブル、ならではの閃きが訪れた。
私は、万博2025については、夏になったら=毎日が快晴の夏=絶好の撮影日和になったら、大屋根リングから大阪湾を、大阪を一望する写真を撮影に行こうと決めていた。
だから、通年パスを買いそびれてしまった。が、これは、これからでも買えるので思案中である。
8/2,テレビ東京(大阪)の新・美の巨人たち【藤本壮介「大阪・関西万博の大屋根リング」で、世界各国の万博関係者が、異口同音に、大屋根リングを絶賛していた。
「全部、残すべきである」(欧米人)「日本の建築技術は素晴らしい…日本人にしか作れない」(アジア・アフリカ人)…。
素晴らしい着想をもった、日本が世界に誇る設計者の一人である、藤本壮介の畢生の作品でもある大屋根リング、迎賓館、これも彼の深い発想の具現である自然の森の3点は、国宝として残さなければならない。
昨夜、私は、そう書いて、世界に発信した。
その後である。冒頭の閃き…この場所を永久保存する最高・最良のアイデアが誕生したのは。
2011年5月、私は担当医師に「生きる確率25%」を宣告された大病を患い、8か月間、京大医学部の附属病院でもある大病院・北野病院で入院生活を送った。
私の後輩に当たる医師たち、看護婦さんたちの素晴らしさのお陰で、私は、2011/12/16に完治退院した。
翌年、2012年。
私は、1年365日の内、300日を、地下鉄烏丸線・北山駅・直結の「京都府立植物園」で、春夏秋冬、園内の四季折々の植物、花々、カワセミを始めとした野鳥たち、黒揚羽、アゲハを始めとした蝶たち、ヤモリや様々な昆虫たちを撮影して過ごした。
この植物園は、本当に最高だった。毎日、新鮮な出会いがあった、一日として同じ日はないのである。
終に、私は、或る月などは、新大阪から京都駅までJRの定期券を買いもしたのだった。
私が、これほどに、京都府立植物園にほれ込んだ大きな理由の一つは、交通が至便だったからである。
我が家のドアを開けて50分後には京都府立植物園に着く。しかも駅直結だから全く疲労感がない。
植物園の態様が最高だったからである事は言うまでもない。
ここはとても自然の森に近い植物園でもあるのだ。
だから渡り鳥、留鳥を含めた様々な野鳥がたくさん棲息している。
無数の昆虫が生息している事も無論である。
北山門から入場した時に、いつも目に入る…アジアで唯一…の認定を得ている植物園であるとの説明版について、確認するためにウィキペディアを検索した私が厳粛な気持ちになった。
京都府立植物園は、正に、文明のターンテーブル、そのものでもあったからである。
2021/12/16,大病を完治・退院した私が、2012年、300日も、訪れていたのも、むべなるかな。
GHQの占領統治の過酷さ、否、言語道断さ。
私は、京都御所も、年に40回ほどは訪れる。ここの丸太町通り側から入った直ぐの場所に皇族の邸宅跡がある。
いつもは庭園をさっと撮影して出るのだが、或る日、中に入ってみた私は驚いた。
何と、この邸宅を、米軍が接収して使用していたからである。
京都府立植物園が被った態様は惨状といっても過言ではない。
これだけ苛烈なGHQの占領統治だったのである。
建物や植物園に対しても、これだけの傍若無人なふるまいだったのである。
人間に対する洗脳統治は、更に過酷だったはずである。
未だに、NHK、朝日新聞を始めとしたメディアが占領軍の洗脳統治から全く抜け切れていないの、むべなるかなである。
建物や、植物園に対して、これだけの乱暴狼藉だったのである。ましてや人間おや。NHKおや、朝日新聞おや、なのである。

猶更、私たちは、万博2025の跡地は、国立万博2025記念植物園としなければならない。
その後は、世界遺産として登録すべきなのである。
この稿続く。

関連サイト
文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization
京都府立植物園 – Wikipedia

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