「中国」「中華」は侵略を正当化する呼称なのか――酒井信彦が批判する中華民族主義と朝日新聞の言語観
以下は元東大教授の酒井信彦さんが2013年8月5日に出版した本当に見事な本『虐日偽善に狂う朝日新聞――偏見と差別の朝日的思考と精神構造』(日新報道、2013年8月)の、第9章「朝日新聞の東アジア史観は日本罪悪史観」のp210~p213からである。
④朝日の「シナ」用語への攻撃と破綻
江頴禅という人間がいる。
在日シナ人、つまり華僑で、東京華僑総会の理事である。
千代田区西神田で、北京亭というシナ料理屋を営む。
この人物の特異なところは、「支那という蔑称を根絶する会」の代表を務めている点にある。
朝日新聞は、この人物を何度も取り上げて、その主張を世の中に広めるために、絶大な協力をしている。
1987年10月8日には、「ひと」欄で、坂本竜彦編集委員による紹介があり、1990年3月6日には、投稿欄の「論壇」に登場させて、かなりのスペースを割いて、持論を述べさせている。
2001年1月23日には、当時の森首相が南アフリカで「支那事変」という言葉を使ったことに対し、抗議の手紙を出したことまで記事にしている。
江が経営する北京亭に行くと、割りばしの袋には、「私たち中国人は、日本の人がわが国をシナと呼ぶことに耐えがたい抵抗を感じます」と書いてあるのだという。
江がシナという言葉を根絶したい理由を、論壇の文章から紹介してみよう。
「中国人は古来、自分の国を『支那(シナ)と称したことはない。古く『秦』に由来したと思われる『チャイナ』『シナ』が同根であることは学説的にも広く認められている』と、本来、蔑称ではなかったこと自体は一応認める。
「しかし、決定的なことは『支那』いう日本語は、最近百余年、日本がわが国を侮り、侵略し虐げた時期に、侮蔑(ぶべつ)の意味と響きを込めて勝手に使われ続けたという事実である」と理由づけるのである。
しかし、そんなことは、この世の中によくあることであり、特に戦争をやっている関係であるなら、相手の国名を蔑称的に呼ぶのは、むしろ自然と言えるだろう。
中略
この江という人物について不審なのは、まさに戦争中に日本に留学していることである。
江は四川省に生まれ上海で育った、「豊かな果実商の一人息子」で、昭和19年に私費で留学した。
まず秋田鉱専で石油地質学を学んで卒業し、戦後、日大法学部を卒業して、シナ料理店を開店した。
つまり江は、日本と協力していた、汪兆銘の南京政府のルートで来日したのであるらしい。
「ひと」欄の記述の中には、「戦争中、日本人に卑屈なお世辞をいう時は、自分の国をシナといったのです」という箇所が出てくる。
つまり日本人に迎合して、シナと言ったのは、江白身の体験であるに違いない。
それが、この運動の原点になっているのであろう。
しかし戦争中、「シナ」が蔑称であったと決めつけることは、はなはだ疑問である。
実はそれに対する有力な反証が、朝日新聞に登場している。
それは、2007年12月25日の「私の視点」欄で、在日シナ人2世で元科学技術者の林伯耀が、新入国審査に関連して述べているものの中にある。
幼少時の林少年は、朝鮮人少年に虐められて登校拒否になる。
「差別が差別を生む構造が、私が生まれた京都府の田舎にもつくられていた」という。それに続けて、林は次のように言う。
「それでも、生まれた土地の香りや、私たち一家を『支那はん』と呼んで優しくしてくれた村の人たちの人情を忘れられない」。
優しくして呼んでくれたのが、蔑称であるはずがないだろう。
シナ人自身による証言であるから、全く疑問の余地はない。
ところで、江が「ひと」欄でも「論壇」でも、もっとも主張しているのは、実は一般的な「シナ」用語の追放ではない。
「論壇」において、江は次のように言っている。
「戦後、大多数の日本人は自らの過ちに気づいて『支那』を『中国』に、『支那人』を『中国人』と改めるようになった。それは今日、大勢になっている」。
では、何が問題なのか。
「ただ『シナ海』が頑固に生き残っている」。
つまり、一般的な「シナ」用語の追放には成功しているのだが、地名としての「東シナ海」「南シナ海」が存続しているのが大問題だというのである。
この江の主張から20年以上経つが、幸いなことに「シナ海」はビクともせずに立派に存続している。
これだけ江の言い分を何度も取り上げて、応援し続けた朝日新聞なのに、朝日自身が「シナ海」を使い続けているのは、まことに皮肉である。
前章で述べたように、「中国」「中華」こそ、撲滅しなければならない、シナ人の侵略正当化のための、根本的な犯罪用語である。