アラン・ギルバート/東京都交響楽団の名演――モーツァルト:交響曲第40番と京都府立植物園、再会の歓喜【4K】

2026年10月31日、晴天。
秋の光の中で出会った、小さな命たち。
あの日の胸の高鳴りを、今度は、アラン・ギルバート指揮、東京都交響楽団によるモーツァルト《交響曲第40番 ト短調 K.550》の名演とともにお届けする。
久しぶりに、午前中の京都府立植物園を訪れた。
親友も私と同じく、蝶が大好き、野鳥が大好き、サギが大好きな人である。
サギの、周囲に動じない悠然とした姿を「我関せず」と呼んだのも、この親友だった。
「寒くなって来たから、蝶はもういないでしょうね…」
「いや、今日は晴天だから、必ず揚羽は現れるよ…」
そんな言葉を交わして入った植物園で、最初に私の心をさらったのは、大好きなアトリの大群だった。
枝に集まり、飛び立ち、また舞い降りる。
一羽を追っていた目が、次の一羽に引き寄せられる。
あちらにも、こちらにも、懐かしい命がいる。
私はカメラを構えながら、彼らとの最初の出会いを思い出していた。
数年前、大輪の向日葵の上に現れた一羽。
長い時間、私達は互いを見つめ合っていた。
以来、私にとって、アトリは親友なのである。
再び会えた。
その喜びは、言葉になるより先に、シャッターを押す指に伝わっていた。
彼らが渡って来た季節に、私もまた、この場所に戻って来られた。
枝から枝へ移る小さな姿を追いながら、そのことが、しみじみと嬉しかった。
やがて、アオサギが私の目の前に現れた。
そして、まるで私を案内するかのように、通路を歩き始めた。
二十年を超える撮影の日々の中で、初めての出来事だった。
私は、その後ろ姿を撮り続けた。
長い脚を運び、一歩、また一歩。
私の胸の高鳴りなど知らぬ顔で、彼は悠然と進んでゆく。
あの「我関せず」が、この日は私の道案内をしてくれている。
そう思うと、嬉しくてならなかった。
アオサギは、私にとって、いつも吉兆である。
その姿に出会うと、この先にも、まだ良いことが待っているような気がする。
そして、望んでいた揚羽が現れた。
やはり、会えた。
秋の陽射しの中、花から花へ。
目と鼻の先で翅を開き、時には私のすぐそばまで飛んで来る。
私は手を差し伸べ、またカメラを構えた。
一枚撮れば、もう一枚。
同じ蝶なのに、次の瞬間には、もう違う美しさを見せている。
翅の角度が変わる。
光が変わる。
花にとまったと思えば、もう宙にいる。
私は、その一瞬を追い続けた。
いつまでも、こうして向き合っていたかった。
けれども、目の前の美しさは、一瞬たりとも同じ姿で留まってはくれない。
だからこそ、こんなにも夢中になるのだろう。
この日、私は、鳥や蝶を撮りながら、彼らに会えた自分の喜びをも写していたのだと思う。
本作品には、アラン・ギルバート指揮、東京都交響楽団によるモーツァルト《交響曲第40番 ト短調 K.550》を使用した。
東京都交響楽団がYouTubeで公開してくれている、素晴らしい演奏である。
私は、この交響曲を、これまで自分の映像作品にほとんど用いてこなかった。
しかし、この演奏を聴いて、あの日の写真とともに届けたいと思った。
冒頭から胸に迫る旋律。
美しさの中に消えることのない翳り。
立ち止まる間もなく、次の瞬間へと私を連れてゆく音楽。
それは、鳥の羽ばたきや蝶の動きに心を奪われ、夢中でシャッターを押し続けた、あの日の私の胸の内にも響き合う。
再会が嬉しい。
目の前にいることが嬉しい。
そして、いつか飛び去ってしまうからこそ、今、この姿を見つめていたい。
モーツァルトの音楽とともに写真を眺めていると、あの日の歓喜の奥にあった、そんな思いまで甦ってくる。
アトリとの再会。
アオサギの道案内。
揚羽との、立ち去りがたい対面。
どれも、私には忘れられない出来事である。
あの日の私は、ただ、嬉しかった。
生きていて、彼らに会えて、こうして美しいものを美しいと感じられることが。
どうぞ、この演奏とともに、私と一緒に秋の植物園を歩いて下さい。
世界のどこで、この映像を見て下さっている方にも、あの日の光と、私の胸の高鳴りが届くことを願っている。
そして、あなたの今日にも、思わず足を止め、いつまでも見つめていたくなるような出会いがありますように。

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