「ダスティン・ホフマン…自己を語る」を観て思う ― 日本のテレビと民主主義の欠落
「ダスティン・ホフマン…自己を語る」を観て、日本のテレビが作れない本質的理由を考察。民主主義と教育の欠落を鋭く批判し、商業化した現状への反省を促す。
「ダスティン・ホフマン…自己を語る」という番組を観て、日本のテレビ界の現状に疑問を投げかける。この番組のような質の高い内容をゴールデンタイムに放送できる国こそ、真の民主主義が完成していると主張。日本のテレビ関係者に対し、ジャーナリズムと公共放送としての役割を見直すよう厳しく提言する。
「ダスティン・ホフマン…自己を語る」前・後編
2010年09月30日
今晩は。
昨夜11時半過ぎに、「ダスティン・ホフマン…自己を語る」前・後編を録画していた事に気付いた…もっと早い時間に気付いていれば睡眠不足には成らなかったのだが(苦笑)
この番組の200回記念でもあったのでした…。
このような番組が、何故、日本では作れないか、を考えた時に、私たちの国の本質的な問題は、全て明らかになるはずだと僕は思う。
今はこれ以上書く時間はないのですが、一つだけ簡単に言える事があります。
この様な番組を日本中の多数が観ているテレビ局で、家族全員が観ている時間帯に…ゴールデンアワーに流している様な国だったら、ということ。
極端に言えば、日本中の家族が、全員、この番組を観ている様な国で有れば、
真の民主主義は完成されているとも言えるのです。
子供たちにとっても、一番良い事だと僕は思う。
為されるべき教育の最たるものだと僕は思う。
今の日本のテレビの有様から遥か遠くに在るものだと言う事を…テレビ関係者は、骨身に沁みる反省を持って、今すぐ考えるべきだろう。
テレビよ、もう十分じゃないか?…20年も30年も馬鹿をやってきたんだから。もう十分だよ…これ以上やるなら、貴方たちは、ジャーナリズムの看板を下ろし、公共放送としての認可を辞退し、単なる商業放送、娯楽だけを扱う、認可外の商業放送としてやるべきだ。
今の様な貴方たちが権威を持っているなんて、とんでもないことだと僕は思う。