円の変動と日本の不良債権問題:2010年、大富豪たちと交わした議論

2010年8月19日、筆者は平成初期の総量規制から始まった不動産不況と金融崩壊を振り返り、円相場の異常な変動がいかに海外投資家を遠ざけ、日本の不良債権処理を困難にしたかを描く。銀行が機能を失う中、ファンド形成を模索し、シンガポールやバンコクの華僑資本と接触した経験を回顧。日本の停滞は官僚とマスコミの責任回避と短期的対応に起因し、今も円の不安定さがアジア資本を日本から遠ざけていることを強調する。

2010年当時の尋常ならざる円の変動と、それ以前の不動産バブル崩壊後の不良債権問題に焦点を当てる。金融庁との交渉や、シンガポール、バンコクの華僑の大富豪たちとの交流を通して、日本の経済問題が海外からの投資を阻害していた実情を明かす。為替の変動リスクが、いかに海外からの日本への投資意欲を削ぐかを具体的に語る。

この20年、円の変動の大きさは尋常ではなかった。
2010年08月19日

僕は、これを書きだしてから、しきりに思い出す事が有るのです。

平成2年4月1日の総量規制以降、不動産業に携わる者に取っては、資本主義が突然終了したに等しかった…金融が無くなったのですから。

朝から晩まで馬車馬のように働き売買仲介手数料収入だけで年間平均5億円弱の企業グループを率いて、単店舗当たりでは日本有数ではないかと言われていた頃、
唯一の息抜きは夏、冬、春にハワイに行く事でした…此処にだけは電話も掛って来ませんから。

日本中が窒息し出し、ハワイに行く気にも成れなかった年末年始、銀行が全て倒産したに等しい様な状況で不動産を続けるにはファンドを形成するしかないと考え、

関連の書籍4冊を買い込んで、「千里の湯」と言う毎日TVが経営していた天然温泉・露天風呂にも持ち込んで読み続けたのです。

結論は、これでは日本中で不良債権化した不動産問題を解決する事は出来ない…一流のテナントが入った一流のビルを、一流の証券会社や信託銀行を介在して証券化する…不良債権の90%は雑居ビル…建築基準法違反のビルも多数含まれる…

それでも、この年の1月末に、僕は大蔵省から分かれた金融庁でしたかの管轄省に、電話を入れたのでした…ファンドの定員50人を、せめて100人位にしてもらわない事には、どうにもできない…当時、日本の家庭は平均500万円の貯蓄を持っていたはず…一口当たりの募集金額が大きく成るからファンド形成は難しい…

東大出の担当課長を出して下さい、として…この20年に反比例するようにして、官庁や大企業は、まるで要塞の様に閉じこもり出したのですが、この頃はまだ、従前通りでした。
1時間半ほど、笑いも交えて話をしました…
ポイント、ポイントで「社長の考えに同感します」との応えも入れてくれたりしながら…
とにかくファンドを組むしか不良債権の山を解決する方法は無いのだが、何故?ファンドの定員が50人なのか?

これは、お金を集めるのは国の仕事、下々が、お金を集める事はまかりならんが、かつて赤穂浪士47人が国に反逆をした事が有ったが、何事もなかった…50人なら何の問題もないだろう…お上の発想ではないのかと問い正したら、彼女は、笑いながら、当たらずと言えども遠からずだと思う…
誰かが起業を考えた時に、一族郎党から資金を集めようとした場合、50人は居るだろう、と言うのが、50人とした理由ですから。

平成18年の朝日新聞を筆頭にした正義感の大合唱で、たった8,500億円の投入で、お茶を濁させ、問題解決を先送りした事が今日の国家的な危機を招いていると、僕がマスコミ批判をすると…
待ってましたとばかりに、「全く同感です、マスコミが悪い」と言うものだから…
遅過ぎて急進的過ぎた総量規制を発令したのは貴方がたなのだから、貴方がたも責任は免れない…。

それから暫くして、日経新聞の小欄に「ファンドの定員、50人を100人に」と言う記事が載りました。

いずれにしても日本のお金では、もう無理だな、と思った僕は、既述したシンガポールの大富豪を紹介してくれた弊社の顧客Aさん…彼は中堅貿易商社で長年、バンコク、シンガポールの華僑さんの会社を相手にビジネスをして来た…若い時にはシンガポールに5年超滞在していた人物と一緒に、シンガポール、バンコクの華僑さん達を訪問する旅に出たのです。
既述したように、1,000万円の費用を掛けて東京都内日経購読全世帯に折込の形で打った意見広告が功を奏し、スーパー重課税は廃止されたのです。
ならば、不良債権の処理は、大きなお金のファンドを形成出来れば解決でき、尚且つ、大きな利益も産み出せたのです。
…言うまでもなく日本はアジアの一員なのだから、どうせならアジア勢に儲けてもらう方が良いとして…投資先は僕が人生の舞台として選択した大阪…当時、東京を上回る高利回り物件の宝庫だった…が、大阪に拘ったのもミステイクだったのは、後日、バンコクの大老との事を書く時に。
僕は500億円のファンドを形成すべく先ずシンガポールに向かった…既述のシンガポールの富豪G氏は僕の意図を瞬時に理解し、シンガポールで、1,2の大富豪を紹介してくれ、彼と彼の妻、長男、紹介者のA氏、僕、そして素晴らしい貴婦人であった大富豪というメンバーで、彼らにしか分からない場所に在る、とても美味しい中華料理店で僕の人生でも最高の夜を過ごした…

Gさんの「Kisaraさんは歌が上手だから、何か日本の歌を歌ってよ」リクエストに応えて、僕がオペラ歌手の様に島倉千代子の「からたち日記」を歌ったのを契機に、Gさんが、立て続けに、とても良い中国の愛の歌を歌い出し、奥さんまで(あんなに可憐な声の持ち主だったとは)
そして愈々、幼少の頃からピアノを嗜んで来た、大変な美人でもある貴婦人が歌い出したのが、なんと僕の大好きなアリア「ある晴れた日に」 途中から一緒に唱和し出した僕…本当に楽しい晩さん会が終わって、店を出る時も、僕と貴婦人は…彼女は英語で、僕は日本語で、このアリアを歌いながら店を出たほどに。

どんなに素晴らしい夜だったかは…弊社の顧客でもある人物は、僕より年上な事と、王道から横道に逸れた僕は、言わば、能ある鷹は爪隠すタイプで長年生きて来ましたから、時々、僕に対して兄貴の様な態度を取っていたのですが…
シャングリラホテルに帰る帰りの車中で、「あの人は、私が、この25年間、会いたくても会えなかった人。それを貴方は、一晩で、虜にした…私は、これから貴方を最高の魔術師と呼ぼう」…等と訳のわからない事を言ったほどに。

この後、バンコク有数の華僑さんの会社を訪問し、中国の、本当の大人と形容するしかない、総帥のお爺さんに受けた歓待は、後日の機会に書きますが。

標題に、冒頭に戻りましょう。
バンコクの気鋭の華僑さんと話をするたびに…この人とは、年齢が近い事もあり、非常に親しいゴルフ友達にもなり、何度も、お会いする事に成ったのですが、「Kisaraさんの話だから100%信用しているのだが…日本に投資するのは為替が…円は変動が大き過ぎて…ジェスチャーも交えながら、何時も彼が言っていた事なのです…当時は不動産一本やりだったから、彼が言っている真の意味が漠然としか分からなかった…
ま、仕事の話は仕方がないや。友情を楽しもう、と。

今は、当然ながら明瞭に分かるのです…当時の大阪の不動産が利回り15%超だと言っても…投下するのは億円単位ですから…円がしょっちゅう、20%も、30%も動くのでは、怖くて、日本の不動産には投資が出来ない。
彼らに勧める優良不動産で。利回りが20%や30%のものなぞある訳がないし、在ったとしても彼らから見れば、利回りは無いに等しい…ならば華僑さんの人脈で、近隣諸国や、オーストラリアや米・欧に投資している方が良い…
これは今だって彼らの根本的な考えだと思う。


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