「百年の孤独を歩く」「ヴァレンタインズ」ウェブ×ソーシャル×アメリカ:里中満智子さんと読む「万葉集」(上):スターバックス再生物語:『愛の勝利を』

「百年の孤独を歩く」 田村さと子氏  今朝の日経読書欄から。2011/6/5
現実と幻想が地続きの旅
「ガボ」と愛称で呼ぶ文章の端々に親しさがにじみ出る。
コロンビアのノーベル賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスとの四半世紀に及ぶ交友を下地に、その作品の舞台であるカリブ海地方を訪ねた紀行エッセーは温かくも刺激的。
軍事クーデターなど暴力が吹き荒れる南米に飛び込み、体当たりで研究を続けてきた文学者ならではのエネルギーに満ちあふれた一冊だ。
この5年あまり集中的に足を運んだ作家ゆかりの土地は「魔術的リアリズム」と呼ばれる文学の世界そのまま。
家族や知人の証言も現実と幻想が地続き。「ここに住んでいた死者はときどき咳をしたり口笛を吹くだけでおとなしかった」といった発言がぽんぽん飛び出す。
ときにゲリラに襲われる危険に身をさらしながらの取材は本人の協力も得て進めた。
「絶版の研究書を自ら手に入れてサインまでして贈ってくれた」 出会いは1985年。インタビューで対面した印象は「驚くほどに気さく」。自動リバース機能付きのテープレコーダーの音に驚く大作家を「大丈夫です」と落ち着かせて話を続けた。
終了後、レコーダーをプレゼントすると「子供のように喜んで夫人に報告していた」。
以来、今日に至るつきあいが始まった。
「東日本大震災の後は何度も、メキシコの自宅に身を寄せるよう誘われている」
今、思いをはせる。実はガルシア=マルケスに会いたいと言い出したのは、幼なじみの作家、中上健次だった。
最初のインタビューは都合のつかなかった彼の代わりに実現した。「ガボとの奇縁は、思いがけず早く亡くなった健次君の置き土産かもしれない」
その中上について近く執筆を始める。
「健次君とは小中高と共に過ごし、田んぼでどろんこになって遊びもした。泣き虫で甘えん坊だった彼の素顔もばらしてしまいたい」と笑う。 (河出書房新社・2400円)
(たむらさとこ)ラテンアメリカ文学者、帝京大教授。1947年和歌山県生まれ。
著書に詩集『深い地図』、訳書にバルガス・リョサ 『楽園への道』など。
人生の綻びの瞬間を端正に描く オラフ・オラフソン〈著〉今朝の朝日から。
「ヴァレンタインズ」岩本正恵訳、白水社・2520円/Olaf Olafsson62年生まれ。本作で2006年、アイスランド文学賞。
不思議すぎる。
なぜ、こんなに透明感のある、端正な物語が書けるのだろう。
書いてある中身は辛いことなのに。
誰だって胸のなかに一つや二つ抱えている小さな秘密や不満が、ある日突然噴出し、塞かっていた過去の傷口が一気に開いてしまう。
人生がどんどん綻び始め、気がつけは、平穏な生活はもう手の届かないところにある。
そんな悪夢のようなできごとが、驚くほど静謐な文章で描かれるのだ。
本書は一年の十二の月をそれぞれタイトルに掲げながら、さまざまな男女の、綻びの瞬間を見事に描き出す。
著者はアイスランド生まれでニューヨーク在住。
英語でもアイスランド語でも創作し、国際ビジネスの世界でも大成功を収めた入らしい。
その筆致はあくまでも繊細だ。
しかも、緻密な構成によって、決定的な瞬聞か静かに準備されていく。
たとえば 「十月」の章では、カフェで待ち合わせながらなかなか話の本題に入ることのできない二人の男性が登場する。
コーヒーを飲み、ビールやシュナップスを頼み、食べ物も注文し……。一方の男性は、自分のベッドの左上にある天窓のことをしきりに思い出している。
天窓から見える、月のことを。
作者は読者を焦らしつつ周到に伏線を引き、一つの言葉をきっかけに、突然物語を加速させる。
なぜこの二人が、ぐずぐずとカフェに座り続けているのか。
その後の展開も劇的だ。
考え抜かれた「オチ」がついているだけではない。
ストーリーの緩急のつけ方がすばらしく、テクストにずば抜けた音楽性を感じる。
それぞれの季節にふさわしい風景や日の光、空気の肌 触りも丁寧に描かれている。
切なくて哀しいけれど、人生への洞察にはっとさせられる。
外国を舞台にした話ではあるが、きっと自分に似た登場人物に出会うだろう。
その人物の末路について、考えずにはいられなくなるはずだ。
評・松永 美穂 早稲田大学教授・ドイツ文学

20世紀最大の病  深化した視点で…今朝の朝日から。
ウェブ×ソーシャル×アメリカ 池田純一著 今朝の朝日から。
〈全球時代〉の構想力  ウェブ思想の根底なす問いとは
ウェブは透明で中立な媒体だ。
そう信じている人が本書を読めば、ネット上の景色は一変するだろう。
ウェブは中立どころではない。(Google、Apple’ Facebook’ Twitter……、普段何気なく利用しているサービス全てに、創設者の特異な思想や政治性が埋め込まれているのだ。
例えばAppleの創始者にしてCEOのスティーブ・ジョブズの「ハングリーであれ、愚かであれ」という言葉と、Googleの創設者セルゲイ・ブリンによる「邪悪になるな」という社是とでは、基本となる構想が全く異なる。
ハッカー文化とカウンターカルチャー(「意識の拡大」!)との関係はよく知られているが、ウェブの思想的背景はそれだけではない。
著者によれば、最新のソーシャル・ネットワークであるFacebookの創設者、マーク・ザッカーバーグの構想は、なんとウェルギリウスの 『アエネーイス』に端を発しているという。
そこに描かれた「永遠のローマ」という単線的な歴史観こそが、Facebookの成長モデルなのだ。
このほかにも、リバタリアニズム、コミュニティ志向、スピリチュアリティ、独立独歩といったアメリカの文化的伝統が、ウェブの構想に反映されていく過程がきわめて説得的に展開される。
こうした視点からみるとき、人間を情報入出力の結節点として扱うGoogleに対抗して、人間の交流関係を重視するFacebookの「人間賛歌」が急速に勢力を拡大していくさまは、サイバー空間での思想対決をみるようで、実にスリリングだ。
著者によればIT技術開発の全体性を担保したのは「宇宙開発」という目標だった。
確かに「全球」という視座からウェブを眺めれば、基本的構想の違いが見て取りやすくなる。
そこで繰り返し問われる「人間とは何か」という問いこそが、常にウェブ思想の根底をなしてきたのだろう。
評・斎藤 環 精神科医
里中満智子さんと読む 「万葉集」(上)…今朝の朝日読書欄から。
古代の人物想像してはまる 音読して理解できる「幸運」
「中学時代、里中満智子さんの漫画『天上の虹』(講談社)にはまりました。
万葉集に残る歌から創作されているのでイメージがわきやすく、入門に最適です」
千葉県の角田加号七さん(31)からこんな手紙が来た。
女帝・持統天皇を主人公にした古代史ロマンで、現在21巻まで出て未完。著者畢生の大作だ。
「万葉集を読むサークルの方から、よくそういうお便りをいただくんです。次はこの歌で描いてください、とか」と里中さんは話す。
中学校の古文の時間、文法にこだわる授業に退屈し、独習で万葉集を読み始めた。
反逆罪で20歳を待たずに絞首されたといわれる悲劇のプリンス、有馬皇子の歌に引かれるなど、人物像に興味を持ってのめり込んでいった。
その延長線上にあるライフワークだ。
万葉集は全20巻、約4500首もある。
埼玉県の内藤美子さん(52)からは「一度に全部読もうとせず、好きな作者の作品に取り組んでみたら。私は柿本人麻呂の作品を中心に繰り返し読みました」という経験談が届いた。
里中さんも、特定の歌人の歌だけを追う読み方は「あり」だという。
「柿本人麻呂や大伴家持など、歌の多い人を好きになった人は幸運です。逆に歌が少ない人は、人物像に興味を持って調べ始めると、歴史やほかの歌人へと興味が広がります」
たとえば藤原鎌足。
吾はもや安見児得たり皆人の得かてにすといふ安見児得たり
「大化の改新の功臣ですね。策士とも言われ一般にあまり好印象のない人。それが『美しい奥さんをもらった、わーいわーい』と喜んでいるわけで、もう少しどうにかならなかったのかこの歌は……とも思います。でも、歴史上の大偉人とも言える人が、この無邪気さ。親しみがわきますよね」
東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月西渡きぬ
広島市の山田勘一さん(78)は 「高2のとき、国語教師が黒板を前に柿本人麻呂のこの歌を朗々と歌い上げたのが忘れがたい」と書いた。
同様の手紙を多数もらった。
里中さんも「耳から入る万葉集」に賛成だ。
「1200年以上も昔の言葉が、音読すると、まずまず日本語として認識できる。これは実はすごく幸運なこと。国全体を滅ぼす災害や疫病、戦乱がなかったことを意味する。そのあり得ない幸運に感謝して、天に向かって大声で読み上げるんです」
春過ぎて夏来たるらし白たへの衣ほしたり天の香具山
(近藤康太郎)
スターバックス再生物語 H・シュルツほか著 朝日14面から。
「絆」求め語り続けたトップ
自宅でも職場でもない上質な 「第3の場」を提供する。顧客の支持を得て一大ブランドとなったスターバックスがある日、本家アメリカで道を見失った。
ウォール街の期待に応え、2000年代半ばに急拡大。
コーヒーの香りは落ち、スターバックスの持ち昧だったパートナーと呼ばれる従業員の接客の質は低下、顧客との対話も薄れた。
「スターバックス体験の価値が失われる」。
危機を察知したのは世界的チェーンへと育て、00年に引退していた著者のハワード・シュルツだった。
直感通り、業紋は急落する。08年、トップに復帰。
リーマン・ショックの逆風下、改革の苦闘を綴った迫真のドキュメントだ。
商品の見直し、業務改革、苦渋のリストラ……次々手を打ち続ける。
その間、アナリストとの会見前、不安からレストランの店員にあたり、悔やむなど、悩み、もがく姿が元経済誌記者の筆を借りてさらけ出される。
1年半後、業績が見事に回復した要因は複合的だろう。
ただ印象的なのはパートナーたちにひたすら語りかけ、「絆」を取り戻そうと心血を注いだ姿だ。
「手を泥だらけにして頑張ろう」。
シュルツが手を前に掲げ、呼びかけると、泥まみれの手を写したポスターが自発的につくられた。再生に苦しむトップには必読の一冊。(月沢李歌子訳、徳間書店・1785円)
勝見明(ジャーナリスト)

『愛の勝利を』 ムソリ一二の愛人。存在をかけた愛と悲劇 朝日、グローブから。
…みどころ…イタリアの独裁者となるムソリーニ(フィリッポ・ティーミ)に尽くした女性、イーダ・ダルセル(ジョヴァンナ・メッソジョルノ)の物語。ムソリーニは妻子ある身だったが、イーダと恋に落ちる。彼女は財産をなげうってムソリ~二の政治闘争を支え、息子(ティーミの二役)も授かった。だが、国家統帥となったムソリーニは、イーダの存在を消そうと、書類を改ざんし精神科病院の閉鎖病棟に送り込む。愛の真実を訴え、彼女はひとり立ち向かう。監督マルコ・ベロッキオが資料映像などを織り交ぜながら、ひとりの女性の史実を掘り起こす。全米批評家協会賞主演女優賞受賞。(東京で公開中。全国で順次公開)四方田犬彦 評価:★★★★★
1953年生まれ。明治学院大教授。比較文化と映画研究を専攻。訳書に「パゾリーニ詩集J(みすず書房)、近著に「書物の灰塵に抗して」(工作舎)。
これは懲罰と監禁をめぐる痛ましい物語である。ベロッキオ監督は1960年代末に詩人パゾリーニに激賞されて以来、一貫して狂気と抑圧という主題を取りあげてきた。
*パゾリーニが激賞したのなら、優れ者で当然だろう。
そして、日本と同じくポスト・ファシズム体制を生きるイタリアで、同時代の不幸なテロリズムの顛末(てんまっ)を見据えてきた。その彼がムソリーニの傍らで生きた(そして殺害された)女性を描いた。
精神病院なる機関がいかに人間の自由を蝕み、全体主義国家において牢獄の代用物であったかは、旧ソ連で実証されている。
この忌まわしい制度を近年全廃した

イタリアでこそ、この作品は制作が可能であった。日本にこのような監督はいるのだろうか。


クロード・ルブラン
評価:★★★★☆
1964年生まれ。フランスのジャーナリスト。仏ルモンド・ディプロマティーク紙記者などを経て、クーリエ・アンテルナシオナル誌編集長。

ベロッキオ監督の才能を改めて示す作品だ。彼の詩的センスと政治的な取り組みの双方を、観客に言葉を失わせるほど印象的な力強さで提示した。

ファシズムの指導者ムソリーニと、彼にすべてを捧げながら彼から捨てられた若い女性イーダ・ダルセルとの関係をテーマとし溶け出さんばかりの情熱を通してファシズムという現象を描いている。その情熱は最終的に悲劇となって終わるのだが、このようなベロッキオの手法は極めて個性的だ。

それだけでも偉大な作品だが、これまで近寄りがたい雰囲気を醸し出してきたこのイタリアの独裁者を映した資料映像を巧みに利用したことで、作品の価値がさらに増すことになった。

大久保清朗
評価:★★★★★
1978年生まれ。映画批評家。東京大学大学院総合文化研究科で映画史(とくに成瀬巳喜男)を研究。訳書に「不完全さの醍醐味 クロード・シャブロルとの対話」。

手を染める血の赤さ、夜を舞う粉雪の白さ。画面の一つ一つから、ヒロインのイーダの情念がほとばしるようだ。

ベロッキオ監督は前作「夜よ、こんにちは」で古い記録映画を用い、モロ元首相暗殺の舞台裏に光を当てた。本作で、その手法はさらに過激となる。ニュース映画に加え、エイゼンシュテイン、チャプリンなどの作品が物語と共鳴し、史実と虚構の境界が切り崩されていく。

これは映画をめぐる映画でもある。ヒロインと映画を見ていたムソリーニは、やがてスクリーンの向こう側に立ち、イタリアをヒロインもろとも破滅へと導く。映画は歴史を語ると同時に歴史を作る。独裁者の歴史に映画そのものが深く関わっている。ベロッキオはその相互の力学を透視し、イーダの悲劇的な生涯を映画によって永遠化してみせた。

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