伊良部秀輝は本当に「トラブルメーカー」だったのか?精神分析で紐解くその内面

元プロ野球選手・伊良部秀輝の急逝を悼み、彼の生涯につきまとった「トラブルメーカー」というイメージの背景を精神分析家カレン・ホルネイの理論から考察します。子どもの頃に形成された「基本的不安」が、彼の行動や社会への「敵意」にどう影響したのかを紐解き、彼の不器用な生き方を読み解きます。

伊良部秀輝は本当にトラブルメーカーだったのか…週刊朝日8月19日号より
2011年08月11日

私の周囲にいた方々は、私の、ヤクザとは何なのか、という話を聞いた事があるわけだが、全く同じ事を私が言っていた事に気付かれるはず。

お代は見てのお帰りに   小倉千加子
伊良部秀輝(享年42)がロサンゼルスの自宅で首を吊って亡くなっているのが発見された。痛恨である。近所の人たちはこの1ヵ月ほど伊良部がすごく落ち込んでいたことと、最近ポストに郵便物が溜まっていたことを証言している。

伊良部はロッテ時代、降板指令に怒ってグローブと帽子をスタンドに投げ入れたことがある。ヤンキース時代には、めった打ちにされた試合でベンチに戻る際、ファンに唾をかけたことから「ビッグ・チャイルド」と報道されたことがある(本人は審判にしたことでファンにしたのではないと言っている)。

伊良部にはこわもてのイメージがつきまとっていた。3年前、大阪市北区のバーで酔って暴れ、現行犯逮捕された。

朝日新聞(7月30日)の「EYE」というコラムで、西村欣也編集委員は、87年、香川・尽誠学園高のエースとして甲子園に出場した伊良部がお立ち台で不機嫌そうな顔をして「それが、どないしたんですか」と、記者の質問に敵意のようなものをむき出しにしていたことを紹介している。

西村氏は「そんな彼が嫌いではなかった」と書いている。

18歳の時から、伊良部は社会に「敵意」を向けて生きてきたのだ。しかし、これは子ども時代の伊良部が世間から向けられてきたものをそのまま返したに過ぎないと言えないだろうか?

精神分析家カレン・ホルネイは、人間の「基本的不安」を「敵意に満ちた外界に囲まれて、自分は孤独で無力であるという幼児の感情」と定義している。

幼児がこのような基本的不安感を惹き起こすのには第一義的に親に原因がある。
「直接的・間接的な支配」 「冷淡で無関心な態度や一貫性のない行動」
「子どもの個人的要求に対する尊敬の欠如」
「軽侮的な態度」
「けんか口論する親のどちらかの味方をさせられる経験」

ホルネイは、親以外の要因として、「他の子どもたちからの隔離、差別」と「敵意に満ちた雰囲気」をつけ加えている。こういう環境の下で育つ子どもが進んでいく方向は三つある。「無力感」と「敵意」と「孤独感」である。

尤も、一つの方向だけが純粋に育つということは実際にはありえず、一つが優越しているだけである、ともホルネイは書いている。

伊良部は周囲からの敵意を当然のことと考えて受け容れ、意識的・無意識的にその敵意と戦う決心を早い時期にしていたのではないだろうか。

そのような子どもは他人の感情や意図を絶対に信用せず、あらゆる方法で反抗し、自己防衛と復讐のために強者となって他人を打ち負かしたいと望むようになる。

伊良部がヤンキースに移籍する際のトラブルにも、この強者指向を感じるのである。伊良部は94年ロッテで15勝を挙げて最多勝利投手となった。同年、239の最多奪三振も記録した。その時、25歳だった。

野球では投手と打者は特にそうなのだが、身体的なピークを過ぎたことは数字が証明する。それでなくても伊良部は大きな身体をしていた(193センチ、108キロ)。

「力」の投手というイメージがあったのだ。だからというべきか、怠慢プレーを見せると掌を返したように、ヤンキースのスタインブレナー・オーナーに「太ったヒキガエル」と中傷された。

「太ったヒキガエル」という呼称には「人種的な差別」が潜んでいる。この時、伊良部に既視感はなかったろうか。



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