恐るべき情報将校、明石元二郎の功罪—日露戦争とロシア革命をめぐる諜報戦の真実

司馬遼太郎の『坂の上の雲』でも描かれた情報将校、明石元二郎の活躍を、作家の水木楊氏の視点から再考します。巨額の資金と天才的な人脈を駆使してロシア国内の革命運動を扇動した明石の功績は、実は最高権力者・山県有朋の「情報重視」の姿勢に支えられていたと指摘。ダブルスパイの存在や、成功が招いた日本の「内向き」な変化に光を当て、歴史の真相に迫ります。

ストックホルムの中心部・セルゲル広場。夏の日差しを求める人々が集まっていた。
2011年08月15日

第7回今国際派と暗号 週刊司馬遼太郎 週刊朝日8/19号から。

文中黒字化は私。

…前章続き。

〈明石の能力を過大に評価することはできない。明石をしてその巨大な業績をあげしめたのは、むしろ時の勢いというものであった〉

その後も明石は手を緩めず、スイスで小銃2万5千挺、小銃弾420万発を用意し、各地の反対勢力に輸送を試みてもいる

作家の水木楊さんには、『動乱はわが掌中にありI情報将校明石元二郎の日露戦争-』という著書がある。冒頭に陸軍の最高権力者、山県有朋が明石からの報告書を見て、「明石というのは恐ろしい男だ……」とつぶやく場面がある。山県と明石について、水木さんはいう。

「明石の活動を支えた人物として山県有朋がいます。司馬さんは山県の評価が低いですが、私はもっと評価していいと思います。山県にはある種の臆病さがあり、臆病ゆえに情報を重んじる。新聞の外電面をなめるようにして読んだといいます。人気はありませんが、このリアリストの功績は大きいですよ。シリアクスの回顧録を読むと、山県から明石が指示を受ける場面が出てきますね」

水木さんの本に、社会革命党の戦闘団長のイェノフ・アゼーフが登場する。前述したプレーヴエ内務大臣やセルゲイ大公の暗殺など、数々のテロの首謀者として知られる。

水木さんは書いている。「この男、イェノフ・アゼーフは、まことに奇怪なことに、実はオフラーナと通じていたのである」オフラーナとは、ロシアの秘密警察のことで、アゼーフはダブルスパイだったことになる。

「明石はアゼーフに資金を提供していますが、帝政ロシアに通じているとは知らなかったでしょう。スパイというのは、ほとんど二重スパイじゃないと成り立たない。相手に食い込まないとなりませんから」

アゼーフはその後、スパイであることが露見したが、愛人とともにドイツに逃げたという。こうした虚々実々の駆け引きのなか、明石は成果をあげていったことになる。

「多くの革命家たちが集まってきた最大の理由は資金力ですね。明石は天才的な語学力を持ち、人をひきつける魅力もありました。レーニンとも面識があったし、血の日曜日のガポンも、アゼーフも頼ってきたわけです」

山県、明石のように情報を重視する傾向が、日露戦争以後、薄らいでいったと、水木さんはみている。

「多くの人間が国際派だったと思うんですね。原書で勉強して、外国に学び、さらには外国の情報を集めて必死で日露戦争を戦った。しかし成功が失敗のもとになります。明石のような人間が活躍することもなくなり、大和魂を強調する内向きの時代となっていきました」

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