追悼 ルシアン・フロイド—人生とキャンバスに刻んだカオスと英国絵画の革新

2011年に他界した英国の現代画家、ルシアン・フロイドの生涯と芸術を追悼する記事。祖父ジークムント・フロイトの亡命経験が彼の人生観と作風に与えた影響、伝統的な英国絵画を継承しつつも破壊へと導いた独自の肖像画技法について考察。その荒々しくカオスに満ちた生き様が、どのように作品に昇華されたのかを読み解きます。

巨匠フロイドと人生のカオス…Newsweek8月10,17日号より
2011年08月15日

追悼 刺激的な生きざまをキャンバスにぶつけたルシアン・フロイド

7月20日、ルシアン・フロイドがロンドンで他界した。88歳たった。トマス・ゲインズボロやジョン・コンスタブル、J・M・W・ターナーの流れを受け継ぐ最後のイギリス人現代画家として知られていた。

フロイドは昔ながらのボヘミアンとしても名をはせた。猛烈にカネを使い、猛烈に酒を飲み、猛烈に女と遊び、猛烈に絵を描いた。借金は刺激的だと語り、2回結婚して、恋人や子供の数は確認のしようがない。

彼の人生のカオスは、キャンバスのカオスとして感じられる。肖像画のモデルは、画家の酔っぱらい具合に合わせるかのようにゆがんで見えるーー相手がエリザベス英女王でも。

画家としてのスタートは波乱に満ちていた。80年代に具象的な手法が再流行して世界的な人気を博し、奇抜な行動にもかかわらず、イギリス絵画の大御所と見なされるようになった。

祖父は精神分析学者ジークムント・フロイト。ベルリンの名家に生まれ、ナチス政権から逃れて33年にイギリスへ移住し11歳の少年は、突然投げ込まれた新しい文化を無視することも、溶け込むこともできなかった。イギリスらしさとはフロイドにとって常に、心の葛藤と譲歩の対象だった。

フロイド以前のイギリス絵画は、欧米の急進的な流れとはうまく距離を置いていた。パリやモスクワ、ベルリン、ニューヨークでは最先端の芸術家が、ピカソのキュビスムやマレーピッチの抽象主義、デュシャンの概念論を追い掛けていた。

しかしロンドンでは多くの芸術家が、18~19世紀のイギリス絵画の先駆者が残した遺産に答えを求めた。そしてフロイドは周囲の保守主義を無視するのではなく、受け入れた。

フロイドはイギリス絵画の先駆者たちと同じプロセスを踏みながら、それが破裂するまで膨らませていった。そのためモデルと長時間、向き合うことでも知られていた。

人物のありのままの姿を正確に描くのではない。彼の作品は肉体と持続、観察についての叫びであり、こぎれいなイギリスらしさを最後の一撃で打ち砕く。

ブレイク・ゴプニック(アート担当)

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