スズメの声と万博2025──跡地を世界最大級の植物園に

スズメの声が消えた夏

先般、オンラインに現れた朝日新聞のニュースで、今年の猛暑でスズメが絶滅危惧種の中に入ったというような記事があった。去年まで、我が家の周辺はスズメの害に悩まされていたから、この記事が目に留まった。そういえば、最近スズメの鳴き声を耳にしないなと。これを書き出している今朝も、以前に比べたらスズメの鳴き声は全くと言っていいほどしない。スズメは絶滅したわけではないだろうが。

万博2025と大屋根リングの撮影記録

さて、昨日のことである。私は思うところあって、万博2025の大屋根リングからの撮影を3日連続で行っていた。日中の撮影は、すさまじい暑さの中の撮影になるから実に大変なのである。常に着替えを下着とシャツ1枚用意していくが、1枚では足りない。そこで昨日は2枚持参にした。同行者の親友が暑さには弱いので、昨日は超ゆっくり、じっくり撮影していった。

私のポイントは言うまでもなく、大屋根リングである。遥か向こうの大屋根リングの上にもたくさんの人がいた。日中はこれまでは、人はさすがにむちゃくちゃ多いということはなかった。理由は言うまでもない。酷暑だからである。しかし昨日は違っていた。驚くほどの人出だった。7月19日から万博2025の撮影を開始しだして、撮影回数はもう10回は軽く超えている。これまで見たこともないほどの人出である。つまり、万博2025は大変な人気なのだ。

9/8はアクエリアスを一本持ちながら、大屋根リングからの撮影を開始した。半周もしない内にボトルはすでにお湯になっていた。正に猛暑である。昨日は夜景を撮ることがメインだったのだが、その心は夜景の完全版を撮りたいというものだった。だが曇り空だったから日中の撮影はほとんどしないと思っていたのだが、実にこれが良かった。それで、もう十分撮り尽くした私は、夜景を撮るのは今日はやめようと決めた。

一旦、大屋根リングを降りて食事をしようと思った頃がちょうど日没に差し掛かった時刻だった。突然、見事な太陽が雲間から姿を現した。これは撮るしかない。私は大屋根リングに戻って撮影を開始した。もうこれで完全に撮り尽くした。私たちは大幅に予定を変更して帰宅することにした。

昨日、私は万博2025の中でラーメンでも食べたいなと思って、ラーメンを食べられる場所を行く前にチェックしていたのだが、ちょうど夕食時期であることと大変な人出だったから、店に入るのはやめることにした。訪問したことのある方はご存知のように、東ゲートのそばにローソンがある。一昨日も私はここで梅干しのおにぎりを2個食べ、牛乳を飲んで、飲料水とともに夕食を取った。今日もそうすることに決めた。

一昨日に気がついた。この場所にちょっとした休憩スポットがあるのである。ポツポツと木が植えてある。そこに佇んで食事をするわけである。本当にちょっとしたスペースだ。

スズメの群れと癒しの瞬間

そこで食べていたら、しきりに鳥の鳴き声がした。当初私はこれはウグイスの鳴き声をスピーカーで流しているような合声音だろうと思っていた。それにしてはと思って、ふとそばの小さい木立を見てみたら、なんとスズメの群れが鳴いていたのである。

ほとんど限界寸前に疲労困憊していた私は、やっぱり野鳥の鳴き声は何であれ良いなあ、と、いっぺんに疲労が吹き飛んだ。その時に確信したのである。万博2025の跡地は世界最高級の、世界最大級の植物園にすべきであると。このわずかな、ほんのちょっとした背の低い木立にさえ、雀たちが夕暮れ間近ともなると集まってきて、止めどなく囀っているのである。その囀りを聞いている私たちの心が癒されるのだ。

万博跡地を植物園に──私の提言

吉村さん、ここを植物園にしなければ、あなたは末代までの恥となりますよ。万博2025の跡地は世界最大、最高級の植物園にすべきだ、と私の頭脳に閃き、提言して以来、ずっと私の中に去来していることがある。

梅田北ヤード再開発と朝日新聞の影

読者はご存知のように、私がこうしてオンライン上に文明のターンテーブルとして登場したのは、大阪梅田北ヤードの再開発事業における混迷がひどすぎたからである。大阪官民の英知を集めて20年超をかけて何度もパネルディスカッション等を繰り返して、戦後最高と言っても過言ではない都市計画が出来上がった。ところがである、2009年10年頃のある日突然、関経連の会長に就任した下津賀博士が、突然、第二期文書計画を辞めて、緑の公園にしようと言い出したのである。

私は激怒した。関西を殺す気か、大阪を殺す気か、と猛烈な怒りに囚われたのである。それから3ヶ月間、私はたった一人で、関係者である関西経団連、関西経済同友会、大阪市役所を相手にして戦ったのだ。その経緯は記述の通りである。

さて、私の脳裏に去来していたこととは何かと言えば、あの日本にたった二つしかない超一等地である、つまり日本最高の商業地の二つのうちの一つである梅田北ヤードを緑の公園に、緑の森にしようと言い出したのは、実は朝日新聞だった。北ヤードの混迷とは朝日新聞の奸計だったのである。

朝日新聞の態様が拍車をかけて、新聞業界の斜陽化はその頃からもう歯止めがきかない状態だった。朝日新聞社というのはそういう面では賢いから、もはや新聞業界に未来はないと、不動産会社としての道を生命線とすることに決めたのであろう。フェスティバルホールの再開発に朝日新聞は社命をかけたのだ。当時の朝日新聞はまだまだ日本に最大の影響力を持っていた会社である。商業地としての容積率をほぼ2倍に上げさせて、確か800%だったものを1600%ぐらいまで上げさせたはずである。

その社運をかけたフェスティバル事業のテナント募集開始の時期、つまり竣工時期と大阪梅田北ヤードの第一期テナント募集開始=竣工の時期が実は一致していたのだ。大阪はずっと、いわゆるバブルの崩壊以来、不況に喘いでいた。ビルには常に空き室があった。しかも大阪は東京に比べればはるかに面積が小さい町である。人口はさほど変わらない。東京は1200万、大阪府は860万人である。つまり世界有数の大都会なのだ。

大阪の都市特性と利便性

だが大阪は東京に比べると平野部が極めて狭いから、人口密度が日本で一番高い地域である。だがそれは同時に交通の便がすこぶる良いことを意味するのである。大阪の地下鉄の主流の路線である御堂筋線はほぼ3分に1分の間隔で出発する。東京では考えられない利便さが大阪にはあるのである。

東京に行ったことがある人間は誰でも知っているように、東京は動くのに時間がかかる。平野部が非常に広いのが東京だ。一つ一つのビルの大きさも大阪よりは随分と広い。東京駅の構内を歩くだけでも迷子になりかかった経験が多くの人にあると思う。とにかく地下鉄に乗り換えするのでも何でも大変な時間がかかる。一方大阪は極めて便利なのである。

私の家から京都の主要な名所、神社仏閣に行くのにほとんど全ての場所に約50分で行ける。私はなぜ大阪にずっと住み続けているか。京都を我が家の庭にしているからだとは何度も書いてきた通りである。

異様な沈黙──万博跡地を巡る朝日新聞の態度

この超利便な大阪で朝日新聞が社命を掛けた、不動産会社として社命を掛けたメインのビルであるフェスティバルタワー2棟は超大型のビルである。このビルのある場所は肥後橋である。肥後橋というのは大阪人にとっては交通が不便な場所なのだ。東京人では考えられないだろうが、あの肥後橋ですら大阪人にとっては交通不便な場所なのだ。梅田に比べたら、あるいは淀屋橋に比べたら圧倒的に不便な場所なのである。

大阪で最も便利な場所であり交通の要所である梅田大阪駅前に最高のビルができる。これは朝日新聞社にとっては存亡がかかった問題だった。朝日新聞が北ヤードを混迷させた首謀者だったのである。にもかかわらず、北ヤード事業混迷などと、新聞全段を費やして大きな報道をした朝日新聞だった。

日本にたった二つしかない超一等地である、銀座4丁目と大阪梅田駅前。この超一等地の商業地を朝日新聞は緑の森にしよう、公園にしようと言ったのである。関西経済同友会、経団連をそのように仕向けたのだ。その朝日新聞が、この万博跡地について、緑の森にしよう、公園にしようと一言も発しない。その異様さが私の脳裏に去来しているのだ。

夢洲はもともとゴミの集積場だった。つまり夢洲という場所は植物にとっては大変な扶養土といっても過言ではないのである。植物にとって最高の場所である。緑の森にする、公園にする、これ以上の場所がどこにあろう。なのに朝日新聞は、ただの一言も、万博2025の跡地を緑の公園にしよう、緑の森にしようと一言も発しないのである。この異様さをあなたはどう考えるか。日本国民として、関西人として、これが正しい対応だとあなたは思うか。

結び──この稿続く

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