何故なら、この国と、世界には、糾されなければならないことが在るからです。
出版社でを私を担当してくれている方は、或る時、当然の事を言ったのでした。
何であれ…Kisaraさんの本は、本来、大出版社から出版されてもしかるべきだが…無名の作家にとって必要なものは、実績、ただそれだけである。と
親鸞をウキペディアで調べているだけで、興福寺や延暦寺が、当時、どういう存在だったのかを忍ばせる史実が出て来る。
日本中の出来るだけ多くの老若男女の人たちに、出来るだけ早期に、或る一定数の販売部数を達成した後に、当然ながら、私は、「続・文明のターンテーブル」、を、刊行する。
その原稿は、「続・…・どころか「続・続…、」「続・続・続…」まで出来あがっているのです。
実は、全く当然な事なのですが、「文明のターンテーブル」、同様に、私の独創ゆえ、空海・最澄の檄の様に激しく、真実を穿つものですから、此処には書かないのも、当然。
書物の中で、購読してくれた貴方に、伝える…作家と云うのは全て、そういうものでしょう。
それは、それは、とても強烈な、正に刮目(かつもく)すべき本の中で。
そのためにも、購読頂いた皆さま方に、周囲の方5人に勧めて頂きたいのです。
私が、今、神社仏閣で合掌している様に、「…、わが命尽きるまで、この国を糾させ給え。…」なのであり、私の様な、神様からの使命を授かった人間が、その使命を果たすためだけに書き続ける事が必要なのです。
何故なら、この国と、世界には、糾されなければならないことが在るからです。
それは、本を購読された方、今、購読を決断された方々には、とうにお分かりのはず。
2012/6/16、京都府立植物園にて。