GHQがつくった憲法は解釈ではなく放棄せよ…追放を恐れた宮澤俊義は「8月革命説」でGHQに媚びた

2024年05月06日

札幌高裁と東京地裁が相次いで同性婚を「違憲状態」と判断した背景には、GHQ草案を無批判に受け入れた戦後憲法学の歪みがある。高山正之氏は、憲法24条を起草したベアテ・シロタやケーディスら米軍将校は、そもそも同性婚を想定しておらず、GHQ主導の日本国憲法は明治憲法の改正手続にも反した「押し付け」であったと指摘する。さらに宮澤俊義がパージを恐れて「8月革命説」を唱え、憲法改変の正当性を取り繕った構造を暴き、日本の憲法学が米国の独立宣言と価値観に従属してきた歴史を批判。いま必要なのは恣意的な解釈ではなく、GHQ憲法そのものの放棄だと論じる必読の論考である。

以下は5/1に発売された定期購読月刊誌テーミスに掲載されている高山正之の連載コラムからである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。
私が彼の連載コラムを読むために本誌の定期購読を開始した事は読者はご存じの通り。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読。
今月号のテーミスは本物のジャーナリスト達による切れ味鋭い論文を満載している。

GHQがつくった憲法は解釈ではなく放棄せよ
追放を恐れた宮澤俊義は「8月革命説」でGHQに媚びた

両性は男と女に決まっている 
男同士、あるいは女同士での結婚を認めない民法の規定は違憲だと訴えていた裁判で札幌高裁は先日、原告の主張通りに違憲だと判断した。 
つまり憲法24条にある「両性の合意に棊つく婚姻」の「両性」には女同士、男同士も含まれる。だから「男と女」と規定する民法は憲法違反だと斎藤清文裁判長はいっている。 
お前は日本語が読めないのかといいたくなるが、これで同性婚が絡む判決7件のうち6件が憲法は同性婚を認めていて、それを阻む民法がおかしいといっている。 
同じ日に実は東京地裁でも同じ趣旨の判決が出たが、こっちの飛澤知行裁刊長はいま流行りの性自認を持ち出して「伝統的価値観は変わってきた」と平然という。
だから同性の結婚も民法は認めてしかるべきだという。 
しかし裁判所は今ある法律をその文言通り解釈するもので、勝手な解釈は禁じられてきた。 
憲法の文言も同じで両性は男と女に決まっている。 
それ以上の深い意味があるかどうかの解釈は基本的にはその条文がどういう趣旨か、その立法趣意から判断するのが筋だろう。 
知っての通り、日本国憲法はGHQの民生局(GS)のチャールズ・ケーディスとその部下がI週間でつくった英文の草案が元で、それを翻訳して縦書きにしたのが日本国憲法だ。 
問題の憲法24条辺りは当時慂成の無知なユダヤ人女子大生ベアテ・シロタが書いたものだろう。 
彼女が信ずるユダヤ教では同性愛はソドミズムと嫌悪されていた。 
彼女の原稿に筆を入れたケーディスも平均的米軍士官で、同性愛はずっと唾棄すべき対象だった。 
真珠湾前夜を舞台にした映画『地上より永遠に』でも同性愛者は殺されるほど疎まれる存在として描かれている。 
米陸海軍が同性愛者の入隊を認めたのはそれから半世紀後のクリントン時代で「軍は志願者に同性愛か否かを聞かず、志願者も自分から語らず」のルールができてからのことだ。 
だからGHQがつくった憲法は同性同士の結婚など考えてもいない。 
いや、それは米国の話で、日本の憲法はすでに日本に根付いている。
日本流に解釈すべきだというかもしれない。
それも違う。
日本国憲法は明治憲法を改正したとGHQはいい、宮澤俊義東大法学部長もそういっている。 
しかし明治憲法では改正の発議は主権を持つ天皇のみが行えるとある。 
ところが日本国憲法はマッカーサーが発議している。 
その新憲法には主権が「天皇」からいつの間にか「国民」に変わってもいて、主権を持つ国民の代表、国会議員が憲法を審議、承認したとある。 

貴族院議員という戦後利得を 
マッカーサーは検閲や報道禁止などあらゆる非民主的手段を講じ、さらには公職追放(パージ)による恐怖で日本人を黙らせてきた。 
しかし、ここまで滅茶をやって日本の憲法を改変したら、日本人は決して黙っていないだろう。 
そんなとき、宮澤が「ポツダム官言の受諾で目には見えない革命が起き、主権が国民に移った」といいたした。 
いわゆる「8月革命説」だ。
これが飛び出したのはポツダム宣言受諾から9か月後の昭和21年5月6日。
マッカーサー憲法草案の日本語訳ができたころだ。 
宮澤俊義はなぜ9か月も黙っていたのか。
ヒントはその4か月前の昭和21年1月、マッカーサーが出した公職追放リストだ。 
陸海の軍人に始まって超国家王義の支持者、大政翼賛会のメンバーなど7項目もある。 
総勢20万人が追放された。
神格天皇を掲げる明治憲法を擁護してきた東大法学部長などいの一番にやられるはずだった。 
宮澤は考えた。
マッカーサー憲法は法的手続きを無視したとんでもない主権の侵害行為だ。
しかしそれに正当性を与える詭弁を東大法学部長の名で出せばあるいはパージを免れるかもしれない。 
それで2か月間、さんざん考えた末に、この「知らぬ間に起きた革命」説を思いついた。
即席にしてはなかなかいい。 
実際、この8月革命説が出たとき、マッカーサーは小躍りして喜んだ。 
日本人は曲がったことは嫌いだが、東大の権威が尤もらしいことを言えば納得するのも知っていた。 
マッカーサーはその礼に宮澤俊義を貴族院議員にしてやった。 
宮澤は公職追放の恐怖を免れただけでなく、今や貴族院議員という戦後利得者の一員になり上がれたのだ。 
以後、日本の憲法学の要となる東大法学部はこの8月革命説を墨守してきた。 
特に宮澤の直弟子、芦部信喜はハーバード大に留学し、「マッカーサーからいただいた憲法の骨格は米国の独立宣言文と米国憲法にある」とまで言い出し、それを日本の憲法学の柱とした。 
それが冗談でない証拠がある。 

長谷部恭男も自衛権を否定し 
有斐閣に始まるすべての「六法全書」の「日本国憲法」を開くと、その扉のぺージに「アメリカ独立宣言文」が必ず置かれている。 
「独立宣言」は日本国憲法が発布された昭和23年の六法全書にすでに掲載され、こちらが大学で使った六法全書にもあった。
ヘンなところにヘンな扉の文句があったと訝ったのを覚えている。
おそらく本年度版の扉も同じだろう。 
それは日本国憲法の解釈に当たって日本人はまず独立宣言にまで立ち戻って米国人の感性になって読めといっている。
同性婚など許すわけもない。 
芦部を継いだ長谷部恭男も米国人が嫌う日本の自衛権を頭から否定する。 
米国人のためにある日本国憲法。
我々がすべきは憲法の解釈でなく、憲法の放棄ではないのか。

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