全くの嘘っぱちだ。驚いたことに朝日は社説と編集委員コラムでも同じ嘘を繰り返す。
本稿は、泰緬鉄道と戦後の戦犯法廷、そして朝日新聞による「個人的戦犯」の書き換えを批判的に検証する高山正之氏のコラムである。
ビルマとタイを結ぶ泰緬鉄道は、日本軍鉄道連隊と連合軍捕虜の協働によって、わずか1年あまりで完成した本格的インフラであり、「日本軍兵士と捕虜が手を取り合って喜んだ」という記録すら残る。にもかかわらず、戦後は捕虜死亡率の高さだけが強調され、「死の鉄道」として日本軍残虐性の象徴に仕立て上げられた。
高山氏は、捕虜大量死の大部分が米潜水艦による輸送船撃沈や、米軍機の収容所掃射、さらには原爆投下による捕虜死亡であった事実を指摘し、「日本軍の体系的虐待」という像が相当に作為的であると論じる。
一方、連合軍側の戦後報復裁判では、日本軍将兵が多数処刑される一方で、戦時中に看守役を務めた朝鮮人軍属も「個人的な残虐行為」で裁かれ、23人が死刑判決を受けた。
コラムの後半では、朝日新聞が李鶴来の死亡記事や社説・編集委員コラムにおいて、「泰緬鉄道建設に従事させ多数の捕虜を死なせた戦犯」と位置づけ、日本政府の恩給不支給を一方的に糾弾していることを「全くの嘘っぱち」と断罪。
彼は現場の総責任者でも軍幹部でもなく、あくまで「捕虜苛虐の個人的犯罪」で裁かれた軍属に過ぎないにもかかわらず、その個人の陰湿な行状まで「日本軍の犯罪」として再構成する朝日の報道姿勢を批判する。
最後に、高山氏は、李鶴来が真に謝罪すべき相手は、自らの不始末の責任を取らされ処刑された中村大佐ら日本軍将校ではなかったか、と締めくくっている。
全くの嘘っぱちだ。驚いたことに朝日は社説と編集委員コラムでも同じ嘘を繰り返す。
2024年05月30日
2021/5/17
以下は週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読。
個人的戦犯
ビルマとタイを結ぶ泰緬鉄道は昭和17年夏に着工され、僅か1年余で415㌔の鉄路が完成した。
1日ほぼ1㌔という驚異的な進捗率で、おまけに戦後も両国の民の生活の足になるよう、やっつけ仕事ではない本格的な架橋技術も施された。
それを支えたのが1万余の鉄道連隊と6万余の連合軍捕虜だった。
他にビルマとタイから作業員が徴募されたが、ともに最悪で、前払い賃金を貰うと彼らはすぐ飯場から姿をくらました。
連合軍捕虜はマラリアなどで実際に働けたのは半数以下だったが、断崖に鏨(たがね)で穴を穿つ意味は分かるから作業は捗(はかど)った。
以上は日本側関係者の記録で、全線開通したときは「日本軍兵士と捕虜が手を取り合って喜んだ」場面も報告している。
捕虜は十分な休養が与えられたあと、本土を含む各地収容所に送られたが、そこに悲劇が待っていた。
周辺の海域は米潜水艦が跳梁し、捕虜護送中の阿里山丸など19隻が沈められた。
それで捕虜1万1580人が死んだ。
何とか収容所に入っても今度は米軍機が空から収容所を標的にした。
ボルネオ、香港、奉天などの収容所は繰り返される掃射で318人が死亡。
奉天に収容されたパーシバル将軍も殺されかけた。
広島と長崎の原爆でも米蘭の捕虜212人が被爆死している。
戦後、日本軍の捕虜死亡率は圧倒的に高いと非難された。
あの執拗な空襲はそんな虚構を創るための作為とも言われる。
そういう非難に乗じて戦後、英豪蘭の捕虜が泰緬鉄道の現場で虐待されたと日本軍関係者を告発した。
告発は二つ。
一つは不当な労働を強いた鉄道敷設計画の責任を問うもの。
もう一つは捕虜虐待。
それで法廷は鉄道責任者の石田英熊中将ら二人を、また捕虜虐待で中村鎮雄大佐ら12人を訴追した。
裁判結果は鉄道関係の二人は10年の禁錮刑、虐待の件では最終的に中村大佐と後任の佐々木誠少将の二人を死刑とした。
開戦早々に白旗を上げて戦時中は収容所でごろ寝していたオランダ軍捕虜は戦後、報復に224人の日本軍将兵を処刑した。
それに比べ泰緬鉄道では捕虜1万余が病死、衰弱死している。
「死の鉄道」と呼んで残虐日本軍の代名詞にもされた。
その割に極刑が少なかったのは英軍の軍事法廷がオランダ人よりはまともだった、ということなのか。
ただ、戦犯法廷はもう一つあった。
先の戦争では開戦早々にフィリピンで米兵が、シンガポールでは英兵が、ジャワで蘭豪兵が、計25万人もさっさと手を上げた。
進出日本軍と同数だ。
彼らの面倒を見ていたら戦争もできない。
急ぎ看守役に朝鮮人が募集され3008人が配属された。
「彼らは残忍だった」と豪州軍捕虜は証言する。
中でも悪質な148人が有罪とされ、23人が処刑された。
「トカゲ」と綽名された李鶴来も死刑組だったが後に減刑された。
先日の朝日新聞に彼の死亡記事が載った。
「捕虜を泰緬鉄道建設に従事させ多数を死なせた」罪で一度は死刑を宣告されたとある。
いやいや彼はそんな要職にはない。
捕虜を苛めた個人犯罪で断罪されただけだ。
全くの嘘っぱちだ。
驚いたことに朝日は社説と編集委員コラムでも同じ嘘を繰り返す。
主張は「日本人軍属として辛酸を甞めたのに戦後は国籍消滅を理由に恩給も出さなかった」と日本政府をひたすら糾弾する。
社説では彼のサディスティックな行状を庇うためか「ジュネーブ条約も教えられなかった」と書く。
そこまで事実を捻じ曲げて個人的で陰湿な犯罪を「日本軍の犯罪」に仕立てようとする。
そのわりには素材がちと悪すぎたか。
因みに故人は生前、苛めた捕虜に謝罪したという。
でも、謝罪すべき相手は故人らの不始末の責任を取らされて処刑された中村大佐らではなかったのか。

2024/5/30 in Kyoto