日本は慰安婦問題と対峙したか 韓国系米国人の「遺言」
本稿は産経新聞オピニオン欄より、ドイツ・ベルリンの慰安婦像撤去を契機に、韓国系米国人L氏が晩年に残した「遺言」を紹介する。彼は中国・韓国系組織の組織的な反日プロパガンダに生涯反対し、日本軍慰安婦の実態について戦時の実体験に基づき「強制連行は見たことも聞いたこともない」と証言した。日本政府の広報不足と謝罪外交の誤り、米国での「ウソの定着」、朝鮮統治の誤解など、今日の日韓問題に直結する貴重な証言と考察が提示されている。
以下は今日の産経新聞オピニオン欄からである。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読。
日本は慰安婦問題と対峙したか
韓国系米国人の「遺言」
先月、ドイツ・べルリン市の公有地に設置されていた”慰安婦少女像”が当局者らによって強制的に撤去された。
像を設置した韓国系市民団体が「撤去すべし」という司法の判断に従わなかったからだ。
遅すぎたものの、当然の措置であろう。
ドイツは 「”ヨソの国の問題”をウチに持ち込むな」と言いたかったに違いない。。
これを受けて、韓国ソウル駐在の黒田勝弘記者が、同地の日本大使館前に残されたままの少女像について書いていた
(10月25日付)。
《2011年に不法に設置されて以来、周辺ではいまなお反日団体による日本非難集会が毎週行われ、騒がしい》
このため、大使館の建て替え工事 (※現在、大使館は別の建物に仮住まい中)もメドが立だない状態という。
コラムは、(国際的にまったく異常、異様である。今年は日韓国交正常化60年で記念行事はにぎやかだが、この問題には誰も触れない》と…。
ウソを繰り返せば
ある韓国系米国人男性のことを思い出した。
仮にL氏としよう。
伝統的上流階級であった両班の家系だが、L氏が生まれたのは、日本統治時代である。
旧制中学のときに終戦を迎え、戦後、韓国の名門大学で学んだ後、米国へ渡って米国籍を取り、ビジネスの世界などで成功した。 L氏は今年舂、90代半ばで亡くなった。
だから、今から書くことは戦後80年を迎えた日本人に向けた彼なりの「遺言」といえようか。
匿名にするのは彼の家族に対する”不当な攻撃″から守るためである。
L氏は、米国において中国・韓国系住民らが主導した少女像の設置など、不当な『反日』プロパガンダに「同胞」の立場にありながら反対し続けた人物である。
感情ではない。
終戦時、10代半ばだったL氏は少年なりに慰安諞の実態を見聞きしていた。
曰く、「私の周囲で、朝鮮人女性が日本軍に強制連行され、従軍慰安婦にされた人なんて、ひとりもいなかったし、そんな噂を聞いたこともない。実際に何十万人もの慰安婦が存在したのなら、私の周りの大人たちが知らないはずはないでしょう」。
米国でL氏は実際に行動を起こす。
中・韓系が多い地域で、その圧力に押され、像設置を進めようとした議員に翻意を促す手紙を送ったり、像設置を審議する議会の公聴会で堂々と「反対意見」を述べたりしようともした。
彼によれば、中・韓系の団体は組織的、戦略的に「反日」プロパガンダを仕掛けていた。
メディアや米国の要人の前で”元慰安婦”という触れ込みの老女たちを動員し、泣きわめく…といったパフォーマンスを行う
▽教会組織などを通じてまとまった政治献金を集め「票」を担保にして米国の議員(一部の日系人議員も)を取り込んでゆく
▽米国の教科書にこの問題を載せたり、慰安婦像の設置を進めさせたりして”ウソの定着(洗脳)”を図る。
「たとえ、ウソでも(中・韓系組織のパフォーマンスが)終始『一貫』しているから、真実をよく知らない米国人は『ウソ』を信じ込まされてしまうのです」
「負け続け」た日本側
これに対して、日本政府側は「負け続け」てきた、というのがL氏の見方だった。
腰が引け、広報戦略にも欠けているし、組織的かつ有効な反論もできていない。
「日本側は」事態の悪化をおそれてオロオロするばかり。
知らん顔していたら、そのうちに騒ぎが収まるんじゃないか…という”事なかれ主義已”だった」と首をかしげる。
しかも、「日本の要人たちは、事実でないこと(強制性など)を認め、謝罪してしまっている(河野談話などによって)。それゆえに米国の一般住民は『日本はこの問題に ″頬かむり”しようとしているのではないか』と思い込んでしまった」と。
L氏は「日本政府は何度も謝って、お金まで出しだのに、いつまでペコペコ謝っているんですか。今からでも遅くないから改めて『真実』を粘り強く訴え続けることです」と叱咤した。
「軍隊と性」の問題は世界中の軍隊にある。
たとえとしてL氏が挙げたのは、ベトナム戦争に派兵した韓国軍が現地のベトナム人女性との間に多くの混血児を生み出し、今も深刻な社会問題になっている事実だ。
日本軍にもあったことは否定しないが、世界中から指弾されるような「特異な問題」ではない。
だが、悲しいかな米国の韓国系コミュニティーの中で、L氏のような存在は圧倒的少数派であり、次第に身の危険も感じるようになる。
誤解だらけ朝鮮統治
L氏について旧制中学の元同窓生はこう言う。
「一言でいえば『知の巨人』。歴史の問題だけでなく、複数の外国語にも堪能だった」。
私は米国在住のL氏と何度も電話やメールでやり取りをし、「日本統治の朝鮮の真実」について多くの教示を得た。
ここで誤解なきよう、強調しておきたい。
L氏は、旧制中学時代の同窓生をはじめ、日本人の知己が多く、日本への親しみや理解が深かっだのは事実だが、決して「親日一辺倒」だったわけではない。
むしろ「何がよくて」 「何が悪かった」のか。
是々非々で判断する公平・公正な目を持っていたと思う。
L氏は日本統治時代に、日本人から差別的な態度を取られたり、戦時中、日本人と朝鮮人とで配給に差をつけられたりし、悔しい思いをしたこともあったという。
こんな話も聞いた。
「朝鮮人、特に北部地域にはキリスト教徒が多かった。日本人が建てた神社に頭を下げさせられたり、(皇居の方角へ)宮城遥拝をさせられたりすることに強い反発を持つ朝鮮人は多かったよ」
その上で、現代の韓国人や日本人の多くが信じている統治時代の話に対しては「誤解があまりにも多い」と言うのが、L氏の主張であった。
たとえば、現代の韓国で、日本の統治に抵抗した武装組織として、たたえられている「義兵」のことだ。
日韓併合 (明治43年)前の大韓帝国時代に郡守(郡の首長)をしていたL氏の祖父は「悪法は無法に優る」と話していたという。 どういうことか?
当時の朝鮮は世が乱れ、無法状態に陥っていた地域も少なくない。
「義兵」の中には、それを”名乗って”山賊や盗賊が、村を襲撃したり、資産家の子を誘拐したりして、身代金を要求する例が少なくなかったのだ、という。
それゆえ、L氏の祖父らは 「秩序がない無法状態が続くより、”悪法”であっでも、日本によって『法治による秩序回復』が果たされる方がよい」と考えたわけだ。
私は日本による法治が「悪法」だとは思わないが、被統治民であった当時の朝鮮人知識階級による、ひとつの率直な見方だったのだろう。
(編集委員喜多由浩)