4月10日号NO3
報道されなかった〝重要部分”
「涙」と「続投」だけがクローズアップされた小沢一郎・民主党代表の記者会見には、報道されない゛重要部分。が隠されていた。それは、日本のジャーナリズムにとって画期となる内容だった。公設秘書起訴の会見で。小沢代表の□から重大公約を引き出した筆者が、その詳細を報告する。
「ジャーナリズム崩壊」の著者 上杉隆
3月3日の公設秘書逮捕以来、小沢民主党について、少なくともひとつのことが言えるようになった。
それは、事件が議員本人に及ぶか否かは別として、小沢一郎代表が記者会見をすべてのメディアに開放し、説明責任を果たそうとしてきたということだ。当初、小沢代表の怒りは、検察の捜査そのものに向けられていた。だが、時とともにそれも変化していく。怒りの矛先は、捜査のみならず、検察からの情報をそのまま報じるメディアにも向けられ始めたのだ。読者にはわかりにくいかもしれないが、実は、日本のマスコミは大きく二つに分けられる。ひとつは新聞・テレビなどの所属する記者クラブメディア、もうひとつが雑誌、海外、フリーランスなどのそれ以外のメディアだ。今回、小沢代表が怒っているのは前者の方にである。
検察は、小沢代表に辞任の意思のないことがわかると、司法記者クラブを使って盛んに捜査情報のリークを始めた。たとえば、4日以降、今回の政治資金規正法違反とは無関係の「胆沢ダム」などの記事が次々と紙面を飾り始めた。「小沢代表はカネに汚い政治家」というレッテルを貼ることで、捜査を有利に進める狙いがあったのだろう。これほどアンフェアなことはない。
「なぜ、検察の説明責任を求める声がもっと強く出てこないのだろうか。朝日新聞は3月10日、〈民主党、この不信にどう答える〉と題した社説を掲げたが、どうして〈検察、この不信にどう答える〉と問いかけないのか。検察のやることは絶対に正しく、疑う余地がないとでも思っているからなのか。マスコミは検察側か不機嫌になるような報道を自己規制して控えているからか」
こう指摘するのは、米コロンビア大学教授のジェラルドーカーティス氏だ(3月12日付、朝日新聞)。カーティス氏と同様に、これは、海外メディアが共通に持つ認識である。かつて海外メディア(NYタイムズ)で働いた経験のある筆者も、今回の報道には首を傾げざるを得ない。海外メディアのルールに従えば、公権力からのリーグ情報は、取材源を明記するか、もしくは改めて取材した上でないと記事にできないはずだからだ。
ところが今回、日本の新聞、テレビはそうしたルールをいとも簡単に破っている。
匿名の捜査情報を載せるのはいつものことだとしても、そのリーグ情報の裏づけ取材をせずに、そのまま掲載し続けている。胆沢ダムの記事が、まさにそれに該当するだろう。
記者クラブメディアが検察情報をもとにした小沢代表に不利なニュースを一方的に流す中、非記者クラブメディアは検察批判にシフトしていった。そして、画期的な瞬間が訪れた。
公設秘書が起訴された3月24日、小沢代表は会見の中で、記者クラブの開放を公約したのだ。これは何を意味するのだろう。30年来、記者クラブは首相官邸、自民党、検察庁をはじめとするすべての官公省庁のアクセス権を独占し、その既得権益を守るため、排他的なルールをつくり、雑誌や海外メディアを排除してきた。 ゆえに記者クラブは権力と癒着する事で、すっかり一体化し、権力側の漏らす情報のみに頼る習慣が身についてしまった。それが権力による政治利用だとも知らずにー。
民主党の政権奪取時の記者クラブ開放の公約は、日本のジャーナリズムにとって記念すべきことだ。
実は、全ての記者クラブメディアが黙殺した当日の小沢代表のコメントは、筆者の質問に答える形で明らかにされたものだった。
〈ジャーナリストの上杉隆と申します。3月4日の記者会見以来、代表は説明責任を果たそうと、私のようなフリーランス、雑誌記者、海外メディアに記者会見を開放し続けてきたことについて、まずは敬意を表したい。一方で、自民党、首相官邸など全官公省庁は、私のような記者が質問する権利はおろか参加することすらできない。そこで質問です。仮に、政権交代が実現したら、民主党は今までと同じように記者クラブを開放し続けて首相官邸に入るのか。あるいはこれまでの自民党政権のように、記者クラブをクローズにしてしまうのか?〉
小沢代表は、こう答えた。
「私は政治も行政も経済社会も、日本はもっとオープンな社会にならなくてはいけない。ディスクロージャー。横文字を使えばそういうことですが。これは自民党の幹事長をしてたとき以来、どなたとでもお話をしますということを言ってきた思いもございます。そしてまた、それ以降も特に制限はまったくしておりません。どなたでも会見にはおいでくださいということを申し上げております。この考えは変わりません」
この回答によって民主党は、正式に記者クラブの開放を宣言したことになる。もはや後戻りはできない。なぜなら、会見に出ていた非記者クラブのジヤーナリストたちが動かぬ証人となってしまったからだ。
後戻りできない記者クラブ開放
「ありがとう」「素晴らしい質問だった」「おめでとう」会見後、こうした言葉が筆者に対して、異口同音に投げ掛けられた。握手を求める小さな列ができた。こんなことは初めてだった。
一方で、記者クラブメディアは、この日の筆者の質問と小沢代表の回答を完璧に黙殺している。新聞、テレビともに一切報じない。思えば、新聞紙面に「記者クラブ」という文字が躍ったのを見た覚えがない。彼らの中では、そうした問題は存在しないことになっているからだろう。
だが、はからずも今回、小沢代表の公設秘書逮捕という事件から、検察の匿名リークを含む記者クラブメディアのこれまでの欺隔が明らかになってしまった。
仮に、民主党政権が誕生すれば、記者クラブは次のように変わるだろう。週刊誌の記者が、政府専用機に乗って首脳会談の同行取材をし、海外メディアの記者が、官邸で行われる首相のぶら下がり会見に自由に参加し、フリーランスのジャーナリストが連日、官邸での会見で厳しい質問を連発するi。
実は、これは特別なことでもなんでもない。世界中の報道現場で普通に起こっているシーンだ。なぜなら、海外では記者クラブというシステム自体が存在しないからだ。
いまや、日本の報道機関は、選択を迫られている。民主党という権力によって勝手に記者クラブを開放されるのか、あるいは、メディア自らの自主的なルールに基づいて開放するのか。決断を下すのは難しいことではないはずだ。