4月10日号NO.6
官僚機構に公益は関係なし
検察は昔から権力の走狗
評論家室伏哲郎
検察官の職務規定を定めた検察庁法第4条にこうあります。「公益の代表者とし
て他の法令がその権限に属させた事務を行う」と。
今回の検察の捜査は、この「公益の代表者として」に違反すると思うのです。
自民党は、戦後六十数年の間、事実上政権を握っていた。その間、検察をはじめとした官僚機構が「公益の代表者」でいられるものでしょうか。
一例が指揮権発動です。私は81年に出版した・『汚職の構造』(岩波新書)で、伊藤栄樹・元検事総長が書いた『逐条解説検察庁法』の一節を紹介しました。
〈指揮権発動は、昭和二九年(一九五四年)四月、いわゆる造船汚職事件に関して行なわれたそれがもっとも有名であり、また、一般には、それが唯一の例であるかのようにいわれているが、必ずしもそうではない〉
要するに、指揮権発動は、あたりまえに行われてきたということです。
もうひとつの例が、漆間巌官房副長官です。前警察庁長官の漆間氏は、記者たちとのオフレコ懇談で、西松事件の捜査が「自民党議員には波及しないと思う」という趣旨の発言をしました。しかし、それが表に出て追及されると「記憶にない」の一点張りです。
20人もの記者に話しているのです。記者たちが覚えていることと、漆間副長官一人が覚えていることが違うなんて、そんな滑稽な話はないじゃないですか。
この一事をもってしても、日本で何か行われているかがわかります。小沢氏が130人もの行政官を新たに外部から導入することは、古い官僚組織にとっては一大事件。公益かどうかは、彼らには関係ありません。
私は、『汚職の構造』を書くためにいろいろと調べていて、日本という国は、人権や民主主義が実現している国家ではないとつくづく思いました。
中でも、検察は一貫して。「公益の代表者」ではなく、独善的な権力の走狗なのです。日本には、「公益」というものを裏付ける風土がないんです。なにせ、たった六十数年前まで天皇陛下のためなら何でもしてきた国民性ですから。
権力側は、メディアや世論などどうにでもできると思っていますよ。だから、
国民は、新聞、テレビの一般的な報道を疑ってかかることが大切でしょう。
政治資金規正法は、いろいろと裁量で解釈できる法律です。この法律を通したのは、自民党です。小沢一郎という人も、かつて田中角栄元首相の下で人となりを築いてきた人物。今の状況は、ある意味で、昔自分で仕掛けた罠に引っかかったようなものです。