2009年5月15日号、田原総一郎のギロン堂

テレビメディアが内包する変わらない悪しき体質

 4月23日午前3時ごろ、赤坂の公園で全裸になって騒いでいたとして、SMAPの草剛さんが逮捕される事件が起きた。公園近くの住民から「酔っぱらいが騒いでいる」と110番通報があり、赤坂署員が駆けつけて、現行犯逮捕したのだという。しかも、赤坂署は23日夕刻に草務さんのマンションを家宅捜索した。
 
私は、草さんに大いに同情している。逮捕はともかく、家宅捜索はあきらかに行き過ぎである。なぜ、酔っぱらって公園で裸になっていただけで家宅捜索なのか、さっぱりわからない。
 おそらく警察は麻薬の使用を疑ったのだろうが、草さんの尿からも薬物反応は出ていないのである。それにテレビ、新聞、ラジオなどが異様なまでの大騒ぎをしたことで、なおも草さんに同情している。SMAPの一員として人気タレントではあるとしても、騒ぎすぎである。6時間飲んだことをまるで悪事のように報道したメディアも少なくない。酔っぱらって深夜の公園で裸になったのが、それほど大騒ぎする事柄なのか。まるでよってたかって〝草いじめ”をしているようだ。
 
しかし、ここで私はテレビにかかわる人間として、テレビというメディアの特性、というよりはおそらく他メディアの人々には理解し難い弱点について記しておかねばなるまい。
 テレビメディアにはさまざまな弱点がある。総務省に管理されている免許事業であり、製作費は全面的にクライアントに依存している。だが、そういう現実はありながら、作り手が覚悟を決めれば政府批判も自民党批判もできる。クライアントに弱いとはいえ、もし問題があり、作り手が覚悟を決めれば、トヨタ批判もパナソニック批判もできる。現に私自身、テレビにかかわっていてタブーだと感じたことはない。宗教批判も右翼批判もできる。だが、そのテレビの世界で唯一のタブーがあるのだ。視聴率を稼ぐ売れっ子タレントや、売れっ子タレントを抱えるプロダクションや事務所の批判である。売れっ子タレントが暴力ざたやセクハラまがいのことを行っても、テレビメディアでは彼らの行動を批判しないし、話題にもしない。彼らが出演を拒否すること、プロダクションや事務所が売れっ子タレントの出演を拒否することを何よりも恐れているためである。
 
私は、時にバラエティー番組にゲストとして出演を求められることがある。そんなとき、私はお笑いタレントなどに、時の売れっ子、芸能界の実力者たちの論評を求めてみる。すると決まったように彼らは絶句し、顔が硬直する。政治家や経営者、スポーツ選手たちの論評は気楽にやる彼らが、である。そこで私かズバズバ論評する。しかし、こうした部分は100%カットされる。まったく日の目を見ない。だから改めてタブーだと気付かされるのである。
 
ところが、警察ざたになり、逮捕などされると一時的にタブーが解ける。このときとばかりに大騒ぎするのである。弱いテレビメディアがいじめに転じるのだ。この典型が〝草いじめ”である。
 ところが、一瞬が過ぎると、たちまちいじめたタレントの擁護合戦が始まる。コメンテーターたちがタレント擁護を競い合う。だが、これはヒューマニズムではなく、タレントのプロダクションや事務所のご機嫌取り、売り込みのための懸命なパフォーマンスなのである。

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