先ず、日本の民放TVが、どれほど粗雑なものかの実証例を。
校正部置き 正しい放送を…9月14日、朝日新聞から
8月10日、TBS系の夕方ニュース「Nスタ」の戦争企画の特集で「ミッドウェー海戦は1943年、ハワイで……」という説明があった。もちろん事実は1942年6月である。また、ミッ`ドウェー島はハワイ諸島に属するとはいえ、ホノルルのあるオアフ島からは2千キロも離れており、「ハワイ沖」では誤解を招く。
こうした誤りは、民放テレビに特。に多く、一向に減らない。あからさまな事実関係の誤りはさすがにそう多くはないが、日本語として変な表現は頻出している。…「洪水の水が押し寄せて」(正しくは「洪水が押し寄せて」)/一酸化中毒」 (一酸化炭素中毒)/「おびただしい人の数が」 (おびただしい数の人が)/「忘れかけられていた」 (忘れられかけていた)というように、枚挙にいとまがない。
なぜミスがなくならないのか?原因の一つは、新聞社や出版社などには必ずある校正部が、民放テレビ局には存在しないことだろう。
放送原稿はニュースの場合、記者が書いて、上司のデスクが目を通しただけで、完成稿としてオンエアされてしまう。原稿を読むアナウンサーは専門職で、発言力に乏しい。ビデオ編集やタイトルマンなどのスタッフは下請けで、原稿が変だと思っても、指摘しにくい立場にある。
私は20年間、テレビ報道に携わった後、文筆業に転じ、昨年、小説を出版した。何度も原稿をチェックして完璧に仕上げたつもりだったが、版社の校正者の手にかかるや、1千ヵ所以上ものミスを指摘され、たいへん恥ずかしい思いをした。校正の専門家は広範な視点と着眼の鋭さを持ち、研ぎ澄まされた注意力と集中力でささいな瑕疵もみのがさない。一種の名人芸である。
テレビは、番組によっては何千万人が見ることもある影響力の大きなメディアだ。だからこそ、事実誤認や日本語の乱れを助長するような誤りは徹底して排除する責任がテレビ局にはあり、校正をおろそかにすべきではない。
校正部は、経費が増えるだけで収入にはつながらないから、あえて新設しようという局はない。しかし、たびたび誤ったコメントを聞かされたために、信頼性が低いとして、テレビを見なくなった視聴者もいるはずだ。校正部の不在は、営業的にもマイナスかもしれないのだ。
ニュース番組では、時間的な制約も確かにある。放送直前に書かれた原稿を短時間でチェックするのは難しいかもしれない。とはいえ現状では、企画もののVTRのように、完成からオンエアまで十分な時間的余裕のあるケースでさえ、ミスが目立つのである。
放送原稿の適切な校正がなされるよう、民放テレビ局は早急に編集体制を見直すべきだ。
ジャーナリスト・元毎日放送アナウンサー 鎌田正明