日経新聞、コラムニスト 土谷英夫氏へ。
さて、明日は、早朝から仕事が有りますので、今、書きましょう。
…僕は大変な事に気が付いてしまったのですね。
週末恒例のスーパー銭湯に、いつもより遅い時間に居た時も、朝に書いた違和感は、ずっと付き纏っていたのでした…先ず、「文明のターンテーブル」の読者諸兄なら既にお分りの様に、この20年を作って来たのは、彼らの正義の大合唱だった訳です。
正義って、あんたたちが言う事かよ…呟きが僕の頭の中に…
それと、今時、正義かよ…ボブ・ディランが、かつて歌った事…
ロシア人も「神が味方」アメリカ人も「神が味方」…そうして戦争をしている…
正義を言うなら、古今東西…今も…正義ゆえに戦争をしている事に言及するしかないだろう、
或いは、論は、そこに行かなければどうしようもないだろう。
ところが、小沢一郎なのである。
つまり、彼らは、戦前から、何にも変わっていないのである。
この様な論法で、人を、悪人や、国民の敵に仕立て上げる、やりかた。
僕は別に、ハーバードの教授が世界を救う存在だなんて、思っていない…
もし、僕がアメリカで幸せな家庭に生まれたら、19歳でハーバードを卒業していたかも、と確信しているからだ。
元々、優れて知性的なアメリカの最高峰だから、敬意は払うのが当然。
問題は、日本のマスコミの、こういう論説の立て方なのである。
この20年を経た後では、日本の権威なぞは総崩れだろうから…ハーバードを拝借しよう…
しかし、この様な論立てに使われたサンデル教授も、目を白黒なのではないか。
知性有る者なら誰でも、正義とくれば、必然的に、宗教的な方面に、思考が向かうはずだ…そこから深い宗教論を書くなら正解だろうが…土谷氏は、なんと小沢一郎を持って来たのである。
彼は日経新聞関係者だろうから、週刊朝日は、間違っても取っていないだろう。
僕が既述したような、経緯については、何も検証されていないはず。
最初に、サンデル教授の正義論…NHKでも放映された云々で、中身の詳細は全くなし…要は、正義と言う言葉を、ハーバードで権威付けたい訳である。
そして小沢氏の登場…小沢氏の「正義」についての考えや意見は、これっぽちも聞く事もなく。
「私は、小沢氏は悪い奴だと思う、嫌な奴だ、嫌いな奴だ」、と言うのなら、そう言えば良い事じゃないか。
何も、ハーバードのサンデル教授を枕に据える必要はなかろう。
僕は、こう思うのだ…もし、彼が戦前の人間ならば、丸山真男も、長谷川如是閑の講演会に行っただけで、彼の、この論の立て方で、投獄だろうな、と。
惨殺された幾多の秀才たちも、これと全く同じ論法で罪に問われたのである。
何てこった…。
土谷氏こそ、甚だしく、正義を欠いた人なのである…満天下に、一人の人間を悪人として晒し者にするのに、本人の考え、意見を何一つ、自ら、聞いていないのである。
こんな論説が、何処にあろう。
僕は、今朝の違和感に感謝する。泉質抜群温泉のシャワーに感謝する。
僕が、全ての答えに気が付いたのは、シャワーを浴びている時だったからだ。
時間が無いので、今夜は、警句の様に、終えます。
正義は権力者たちの言葉。彼らが、それ故に始める戦争、あの頃の日本も、ドイツも、イタリアも、皆、自分たちの正義で、戦争を始めたのです。
高貴さ、は庶民の言葉…この正義漢達が始めた戦争でも、皆、国の為に、死んで行ったのです。
ハリウッド映画が、世界中を席巻しているのは、正義、なんかの故じゃない。
殆ど全ての映画に、人間の高貴さ、人間の魂の高貴さが、在るからだし、
アメリカが偉大なのは、正義なんかの故じゃない事は、言うまでもない事。
本物の知性と、世界最高の「言論の自由」が在るからだ。
直近のトヨタの例を見るまでもなく「正義」は危ない。
マッカーシーの赤狩りの例を挙げたら「正義」はとんでもない代物。
©芥川賢治