読者の方々への週末のプレゼント。
これは、いかに週刊朝日が素晴らしい雑誌であるかを、活字が読める5,974万人に、一刻も早く、伝えたいと願う芥川の気持ちでもあります。
2009年5月15日号より。
想像と記憶を重ね合わせて
井上ひさしさんと大江健三郎さんの対話の2回目は、言葉を定義した日本人について。昨年亡くなった大野晋さんと加藤周一さんについて話が集中した。対話の前夜、2人はファクスで、テーマとなる鍵になる言葉を交わしていた。大江さんは「想像する」、井上さんは「記憶する」。徹底する議論が展開した。
井上 大江さんは、日本語の単語の定義に納得できないときは、たとえば、英語の辞書を引いて、言葉の中身をはっきりとつかまえ、その上で、文章をお書きですね。日本の辞書で 「はっきり中身をつかまえる」、これができるのは、大野晋さんと佐竹昭広さん、前田金五郎さんが編纂された岩波の古語辞典だと思います。
たとえば「くせ」という言葉は大野先生の定義によれば、「くさい」から出てきている。だから「悪いくせ」はいいが「いいくせ」はなじまない。また「たたかひ(戦ひ)」を引いてみると「タタキ(叩)に反復・継続の接尾語ヒのついた形。相手を繰り返してたたく意。類義語アラソヒは、互いに我を通そうと抵抗しあう意。イサカヒは、互いに相手を拒否抑制しあう意」と丁寧に説明してあって、ここまで呑み込むと安心して「戦い」という言葉が使えるようになります。
言葉の意味をしっかりっかむ大切さと楽しさが、大野さんの古語辞典を使って、よくわかりました。大江さんも古語辞典をずっと読まれていましたね。
大江 大野先生にいただいた手紙に。いま新しい古典語辞典の仕上げの時期だ、とあった。「単語の語源、由来を分かるだけ明示したい」と。その辞書を死ぬまでベッド脇に置きます。先生のように言葉の定義をする人が、知識人だと思います。辞典を作る人だけじゃなく、良い落語家で、八つあんや熊さんに、なんとも正確な言葉を使わせる古典落語を書いた人もいる。いろんな分野の老知識人が、いい定義を僕たちに残してくれました。
僕は外国語の正確な定義も好きで、英・仏の良い辞書を日本語を読む際にもあわせて頼りにします。やはり言葉を大切にする外国人に、言葉の定義を正確にする日本人は誰かと尋ねられます。僕があげるのは、1919年に生まれて、2008年に亡くなった2人。加藤周一と大野晋です。
井上 同じ生まれですか。
大江 そうです。僕は太平洋戦争で若い日本人の天才がたくさん死んだと思うちょうど大学を終えた年齢で、戦争で死なずにすんだ2人が、すごい勉強を一生続けられた。大野晋さん、加藤周一さん、同じ年に生まれて、同じ年に亡くなられた。
すぐれた知識人と僕が見なす人は、使われる言葉のいちいちに、こまかくその人のお仕事や人間らしさが表れている。しかも、そこに厳密さとユーモアが共にあきらかです。大野さんの教室にいた人、加藤さんの外国の教室にいた人、たいていそこで学んだことが血肉になっています。ウイットも。
このウイットというのは、本人の話を聞かないとなかなか伝わらないんだけれども、注意深く読めばね、両先生とも、お書きになった本に、隠し味のようにまぶしてあります。たとえばね、大野さんの「神」いうひとつの言葉を国語学的にあきらかにする本。これは丸山具男さんの本とも加藤さんの本とも、日本人の神の特殊さを教えてくださる点、共通しています。
その上で、次のような言い方などウイットにみちている。日本人は自然に対して優しいという人がいるが、日本人が自然に優しいのではなく、日本の自然が人間に優しいのだ、といわれる。そういうギャグ的な表現と、国語学の厳密な分析の日本人論が調和してるんです。